2012年3月24日土曜日

シャイロック登場Ⅱ


Mは有能の作家(注、大場)の小柄で、質素な妻であり、夫の虐待に対する忍従を、隷従を、盲従を、犠牲、献身を、細密画のように、実に正確に、実に緻密に描いて、太宰治の「ヴィヨンの妻」もどきの雰囲気を漂わせる。Mの構成力、集中力には相当程度の能力のあることを伺わせる出来栄えである。
有能作家、大場は、加虐の人であり、その妻Mは、被虐の人である。受容の人、母性の人、無償の人、ひたすらに寄与の人である。そこに、大場のとどまることのない加虐、暴力があり、そこに無能の作家、得丸の横恋慕がある。大場が包丁を片手に、得丸の目の前で、故意に妻に性交を強いる。Mが悶える。得丸が呻く。大場が差し込む。Mがよがる。得丸がのたうつ。有能が抉る。Mが捩じる。無能が果てる。このポルノまがいの場面には、赤羽志茂、場末の小屋の、粗末な板張りの床、壁に囲まれた狭い部屋はうってつけの場所であり、一段の緊迫感、一層の臨場感を与えることに成功している。Mの、地味で控え目ながら、しっかりとした存在感が強い印象を残す。後で知ったことだが、実はMの芝居を見たのはこれがはじめてではなかったようなのである。2年ほど前に観劇した文学座のアトリエ公演「こわれかけたバランス」に出演していたのである。全く気がつかなかった。それほどの、その存在にすら気がつかないほどの、端役の端役、豆粒ほどの役だったようである。しかも、Mの文学座における舞台の仕事は、この3,4年間で、この役だけなのである。驚くべきことである。不条理ともいうべき話である。
芝居が終る。小屋の外で大場が待つ。小雨が続く。外の受付に緊張の面持ちの得丸がいる。「芸達者が多いね」と声をかける。ほっとした得丸が「中で…」という。ふたたび小屋に入る。「後輩の松本です。」と演出の松本裕子が挨拶をする。なにか言いたい。なにか言うべきだと考えるが、言葉が出ない。黙礼する。非礼だとは知っているがどうにも仕方がない。松本裕子とは、これまでに3,4回会っている。その都度、当人だと分からない。その都度、別人のように私には見える。ただ後輩だと言ってくれたことは、とても嬉しい。いままで、高校時代のバスケットボール部の後輩以外にそんなことを言われたことがないから。大場が車で送ってくれる。彼は吉祥寺、私は荻窪である。車中、色々と芝居の感想を述べる。先ず、Oを絶賛する。Mを相当に出来る人だと評価する。各役者を賞める。得丸も賞める。大場にはダメを出す。「そうですか」と不満げな大場。賞め言葉は二人のコンビでいい芝居をつくるまでのお預けである。(注、今年12月大場主演「冬物語」)
11月中旬(注、昨年の)文学座映放部三上氏より、OMと会う手筈を整えたとの電話が入る。(女性たちのシェイクスピア)「ヴェ二スの商人」の出演を申込んで3日後の異例の早さである。(注、通常7日~10日後)文学座新館3F応接室。午後1時。まずOと会う。当然シャイロックである。話は順調に進んで決定をみる。そしてMの、小柄、質素、地味、作家の妻の登場となる。力量のある人である。その確かな存在感には忘れがたいものがある。しかし、忍従、隷従、39才、被虐の人を「ヴェニスの商人」に見出すのは、なかなか困難なことである。私はMの役を決めかねていた。決めようにも、どうしても決められないでいた。決められないままにMと会う日取りが決まり、その時が今訪れたのである。応接のドアが開く。大柄な、りっぱな体格の元気のいい人が、賑やかに入ってくる。まるで別人である。ドアの向うの事務所には、南海の島々が展開するのではないかと錯覚するほどの底抜けの陽気さである。ここには、赤羽志茂でみた暗い作家の妻の面影は微塵もない。当惑する心を尻目に、もう一つの心が機敏に働いて、咄嗟に「じゃあ、おれは道化役といこう」のバッサーニオの友人グラシアーノでいこうと決心する。そして、明朗活発な作家の妻の承諾を得る。
313日(注、今年の…)430分、いよいよ、OMが中野区新井1-35-14、元硝子屋改造の貧相な稽古場(注、かつてのポーシャ邸)に初の御目見得をする。気がつくとOMは、狭い室内の中央に椅子を二つ据えて、どっしりと腰を下ろしている。ポーシャ邸の占拠である。役者達が2人を遠巻きにする。圧倒的な存在感である。「通りすぎましたか」と雑談を交わすことで平静を保とうとする私。「通りすぎました。」と O。「白亜の殿堂だと思ったでしょう」と固い冗談の私。「思いました。」とO
朗読が始まる。「人肉裁判」の場からである。「いきなりそこからですか」と笑顔のO。「いきなりそこからです」と落ち着いてきた私。在籍10年のKが、アントーニオ、ネリッサ、公爵の代役を務める。Kもまた「猿」(秋之桜子作、松本裕子演出)の酒場のマダムOと、作家の妻Mを赤羽志茂で見ている。短身度胸、全身愛嬌に緊張感が走るのがありありと分かる。Kはいま、OMを相手にシェイクスピアシアターを代表しての、その十年の結晶としての第一声を発するのである。「Kよ、まあ落着け」と内心で声をかける私は、同時に私にも声をかけているのである。
「私の意向はすでに公爵の申し上げたとおりです。
私どもの聖安息日にかけて誓いましたことゆえ、
証文どおりの抵当をちょうだいしたいと思います。」(小田島雄志訳)
Oが語る台詞を耳にしたときの、はるかに赤羽を超え、志茂を超え、ここ中野区新井薬師、薬師前整骨院前の「クルミの殻」(注、ハムレットの台詞)と呼ばれる元硝子屋の一室は、「無限の宇宙」(注、やはりハムレット)と化する。支配するのは、勿論、Oその人である。Oの素早い、自在な、柔軟な台詞廻しについては前述の通りである。私は、40年の時を経て、江守徹が女役者に化け、目の前に現れたのではないかという錯覚に一瞬襲われる。朗読が、進む。Oはさらに、60数年の時を遡り、私の幼児、「加藤清正」の、「山中鹿之助」の物語に憑いて、うっとりと調子のいい語り口を見せる母の横顔に、また、「阿波之徳島十郎兵衛」の子殺し、「葛の葉(信太の森)」の子別れに憑いて、悲しい人情話を声色まじりに切々と語る祖母の暖かい懐の中にと辿りつく。すべては、添い寝の物語である。(注、祖母の父は備前岡山勝山の地で、旅籠屋を営む傍ら、歌舞伎の興業元のようなこともやっていた。運悪く、事業が失敗する。祖母は母と別れ、父とともに島根半島の僻村に逃れると、そこに隠れ住んだのである。)そして、尚もOは、時の逆行を続ける。明治を超え、江戸を超え、室町、…、奈良、…、民俗学者折口信夫が「古代演劇論」に描いた日本芸能史の古層にまで行きつくように思われる…。もちろん私の身勝手な想像である。一人よがりの思い込みである。その妄想をもう少し話してみる。赤羽志茂は、あくまでも「新劇」という芝居の枠内での話である。ここ、新井薬師整骨院前の稽古場では、それとは全く別種の、シェイクスピアのお芝居の話である。おそらく「新劇」では、潜在するOの芸能的古層が、シェイクスピアに誘発されて、はじめて顕在したというのが、私の邪説()である。
 朗読に戻る。Kが第一声を発しようとするも果たせず、口籠る。珍現象である。気の毒である。同情しきりである。しかし、流石はK、そこでぐっと踏み止まると、右手を目立たぬ程度に静かに動かして、調子を整え、シェイクスピアシアター代表としての面目を保つ。(注、ゴクロウサン) F(ジェシカ)が代役の書記の長台詞において、病床(ビョウショウ)を病床(ビョウドコ)と誤読するも、この難局を見事に切り抜ける。気丈な新人である。すると、ドドーンと太鼓が鳴り渡る。太い、深いM(グラシアーノ)の声が、元硝子屋の窓を、床を、壁を振動させ、赤羽の地の、被虐の人、忍従の人、隷従の、盲従の人を粉々に砕いて吹き飛ばす。予想以上の強い声である。深い響きである。妄想がふたたび私を襲う。川が流れる。橋を渡る。鳥居を潜る。境内に遊び戯れる少年たちのかしましい歓声が聞こえる。生まれ故郷の村、サルダヒコノミコトを祭る加賀神社である。そして海の見える小高い岡のお寺、応海寺。そこにまた時の経つのも忘れて遊び興じる少年たち。跳ぶ。駆ける。打つ。捕る。組む。倒す。その無限の活力、喜び。日が暮れる。ドドーンと神社の太鼓が鳴る。ドドーンとお寺の太鼓が応える。少年たちの声も太鼓の音も一つに融け合って、神の山に、仏の森に消え、そこに住みついて、精霊になる。Mの声は、故里の神社の、お寺の境内に響く太鼓の音、精霊の声である。ようこそ39才のパック、私の少年期……。2時間後、朗読が終わると、OMは稽古場を後にする。旅芸人の姉妹が訪れた村里を去る態の風情である。
私の二人との運命的な出会いの物語はここで終る。しかし、出会いは単なる出発にすぎない。「ヴェニスの商人」の旅が幸運に恵まれることを祈りたい。
OMに捧げるシェイクスピアの言葉。
「みすぼらしい鉛よ。(中略)おまえの
飾らぬ姿が雄弁以上におれの心を揺り動かす。
私はこれを選びます、どうかうまくいきますように!」
(「ヴェニスの商人」鉛の箱を選ぶバッサーニオの台詞)(小田島雄志訳)

2012年3月18日日曜日

シャイロック登場

二人の女優との出会いは、運命的なものである。出会うべくして出会うことになった必然の出会いである。二人の女優とは、文学座の中堅に位置する、O(シャイロック)と M(グラシアーノ)のことである。
昨年の夏、薄暮の頃、私は南北線赤羽志茂駅に降立つと、小雨の降る中を得丸伸二(注、文学座)宅改造の稽古場スタジオTBを探し求めて、人通りのない、暗い寂しい駅周辺の道を右往左往した。コンビニの女性店員は全く知らないという。通りがかりの二人の主婦は、私の予測とは反対の方角を指す。時間が迫る。雨が降る。傘がない。暗がりで地図をみる視力を持たない。このまま帰ろうかと思う。それでは悪いと思う。一軒の古着屋の前に来る。先祖代々、古色蒼然の風情を漂わす店である。ここだと思う。ガラス戸をあけて中に入る。老人が一人、古びた椅子に座って店番をしている。「スタジオTBは」と聞くと 、「TBSはすぐそこを右に入るのだ」と親切に教えてくれる。暗い露路である。裸電球のなかに数人の男女が動いているのが見える。小走りに通りすぎてしまいたくなるような心細さを与える場所である。傘をさした、心配そうな、人待ち顔の長身の男が、暗がりのかなたを窺がっている姿が次第に鮮明度を増してくる。大場泰正(注、文学座)である。今日、私は、これから、ここスタジオTBで彼の招待により、秋之桜子作、松本裕子演出の「猿」を見るのである。
スタジオに入る。客席30人くらいの安晋請の小空間である。最前列に坐る。と言ってもどこに坐っても最前列と言えるぐらいの狭さである。どこか、なぜか共感を覚える雰囲気である。45年ほど前、文学座研究生1年だった頃、ここから少しばかりいった所にある整骨院に、私は間借りしていた。酒を飲んで寝るだけのなんの希望もない暗い26才の青春であった。この場末(注、ゴメン)の質素な小劇場に漂う寂しげな空気が、ひと時、私をノスタルジーに誘ったのである。
芝居が始まる。戦前の話である、一軒の酒場を舞台に、そこに出入りする有能の作家、無能の作家、作家志望の青年、出版社の男、新聞社の男、酒場のマダム、そこに住む若い狂女、有能の作家の妻の、男女間の縺れを執拗に、入念に描写した作品である。そこに少しの弛み、隙がない。相当な筆力である。十分な修練の蓄積を感じさせるすぐれた出来映えである。それにも拘らず、私が少しばかり残念に思ったのは、男とはこんなもの、女とはこんなもの、男女関係はこんなものと、作者が、あらかじめ決めてかかっているところがあって、その分だけ、作品に通俗性を与えているように思われることである。まことに、僭越な感想だとは思う。しかし、私がこの女流に心より願いたいのは、さらに修練を重ねられ、そこを乗り越えて、より鋭く、より深く、人間を見つめた本格的な作品を書き上げて欲しいということである。舞台は素晴らしい出来である。松本裕子の演出が細部にいたるまで冴えわたる。役者達もいい。鋭い情念を、狭い家屋の壁に、床に叩きつける。舌を巻く。目を凝らす。耳を立てる。得丸が意外に踏ん張る。大場がしつこく責め立てる。得丸も大場も、私の芝居に客演した時よりもずっと出来がいい。(注、コノヤロウ!)「美しきものの伝説」に出演していた若い二人の役者もまるで見違えるように生気がある。そして、そこで、私は二人の女優OMに運命的な出会いをしたのである。
先ずOが、赤羽志茂の、人影とてない、うら寂しい裏通りの貧相なスタジオTBに和服姿で登場する。瞳の奥に狂気を滲ませる美しい人である。たちまち目を奪う。耳を捕らえる。心を盗む。私は完璧にOの虜因である。Oは有能な作家(注、大場泰正)と服毒自殺を図るも未遂に終わる酒場のマダムの孤独を、悲哀を、絶望を、実に適確な、実に素早い、実に柔軟な台詞廻し、所作、身のこなしによって、実に見事に、実に余すところなく描出したのである。私の驚きが、いかばかりのものであったか、私の貧乏な言葉の能力ではとうてい伝えることはできない。私の驚きは、同時に私の魂のおののきである。それがどこから訪れるものなのか、何に原因するものなのか、それを知るためには、私は、私の心的な領域の奥の奥、底の底のほうにまで降りていくしかないと思われる。それでもなお、どうすることもなく引き込まれるOの魔力について語ろうとすれば、Oは、美しいデカダンスそのものなのである。Oは、文学座に20年もの歳月にわたって在籍する中堅の女優である。Oの才能、力量は、文学座のトップレベルにある女優たちに伍するほどの、否、それを凌ぐほどのものであると私は断言する。しかも、Oの素早い、柔軟な、自在に変化する台詞廻し、所作、身のこなしは、杉村春子の直系に属するものであり、全盛期の江守徹においてのみ見られた性質のものである。当然、文学座の中心にいて活躍してもいいはずの女優だと私には思われる。そのOが、いま、ところは、赤羽志茂、場末のうら寂れた小屋(注、ゴメンナサイ、トクマルクン)に現れて、美しい和服姿のデカダンスをわずか20数名の客に、渾身の力をこめて披露しているのである。もし、私がOを知らずに自分の演劇生涯を閉じるとしたら、私には悔やんでも、悔やみきれないほどの大きな損失、深い痛手であったろうに思われる。この奇跡的な出会いを用意してくれた大場泰正に感謝する。また、この芝居「猿」の制作を担当した得丸伸二にも、同様に感謝する。なぜなら、Oの配役は、得丸によるものだからである。大場よ!得丸よ!君たちの私に対する演技的貢献度は、このことの、Oとの出会いを用意してくれたことの大きさに比べれば、まだ一寸法師程度の規模にすぎない。(注、ガンバロウゼ、オタガイ!)
私はその頃、すでに「女性たちのシェイクスピア」の上演についてあれこれと考えを巡らせていた。あとはただ、この新しい試みにエイッと飛び込む度胸だけの問題であった。Oの魔力に引き込まれ、息をのみ、つばを飲み込みながら、私は、Oによる、マクベス、マクベス夫人、リア、マルヴォーリオ、リチャード3世、シャイロックを夢想、妄想した。
再び芝居にも戻る。Mが登場する。失神する。床に落ちる。木片のように、小石のように、落下する。有機から、無機への一瞬の変化にMの並々ならぬ才能を見る。
To Be Continued

2012年3月11日日曜日

先輩後輩Ⅱ

ここでまたオーディション2日目の記憶に戻る。Fの履歴書には、20105月シェイクスピアシアター公演「十二夜」を観た時の感想文が書かれている。
2010年に初めてシェイクスピア・シアターの舞台(「十二夜」)を観劇した時、私は感銘しました。なぜなら、舞台セットは一切ない空舞台で、役者の芝居だけが観客を魅了し、それが始終続き、観客席全体が舞台の世界に引きこまれていたように思えました。役者の「伝える!」という強い意識、そして途切れることのない生きるパワー且、冷静に台詞を話し、観客の呼吸を感じていた役者の姿に、私は惚れこみ、「かっこいい!」と思いました。舞台での生きるパワーは、ほとんどの舞台で感じますが(必死さ、演技に対して貪欲、アドリブなど)しかしそれはともすると観客が不快に感じてしまったり、引いてしまうことがあります。そうなると、戯曲の内容が伝わらなくなってしまい、劇場から出た後、「いまの舞台は、何だったのか?」と思ってしまう危険性があります。しかし、シェイクスピア・シアターの舞台の魅力は、生きるパワーを感じつつ、冷静な自分がそこに在る所です。私もその魅力を真近に感じ、戯曲のもつ美しい言葉たちを観客に聴かせ、私自身の生きるパワーを観客に感じさせられる役者になりたいと思っています。」(注、全文掲載)
Fは、上記の内容を論文にまとめ、担当教授に提出、最上級Sの評価を得た。この文章に触れた時、私がどんなに深く心を動かされ、どんなに心のこもった励ましを、勇気を与えられたか、これを書いたF自身にもとうてい想像がつかないことだと思われる。
 Fは実に見事に、実に適確に、実に気持ちをこめて、実に心をこめて、実に魂をこめて、私がこの40年の間必死に追い求めてきたシェイクスピアの言葉の表現方法を「十二夜」の舞台に見い出し、それに心暖まる支持を表明しているのである。私はこの5月で72才になる。Fとは50才の年令の差がある。S(注、在籍15年)との3センチの差とは比べものにならないほどの天文学的数字の隔たりである。何億光年もの天空の彼方から、このFの言葉は私の心に一羽の白鳥のように舞い降りてきたのである。「慈悲は(中略)天より降りきたって大地をうるおす恵みの雨のようなものなのだ。祝福は二重にある。慈悲は与えるものと受けるものとをともに祝福する。」(「ヴェニスの商人」ポーシャ)(小田島雄志訳)
とすれば、今度は私がFに祝福を与える番である。といってもFとは大違いの実に世俗的な、実に卑小な、実に貧相な祝福である。私はFのこの慈悲に満ちた感想文を読んだ時、すぐに、よし行こうと思った。Sだと思った。SSだと思った。担当教授に負けるものかと思った。後は、お面(注、めんと読む。顔の俗称)だなと思った。お面よ、よかれ、と思った。よかれでなくても、ほどほどであれ!と思った。お前にはSがある。感想文がある。そのコネがきく程度のお面であってくれと祈った。写真を見る。幼さをわずかに残す優しい顔である。履歴書の奥から、疑うことを知らないつぶらな瞳が、十分に怪しい、いかがわしい、疑わしい私をじっと見つめている。ああよかったと思う。Sとまではいかないが、Sにしようと思う。後、気になるのは身の丈である。再度履歴書を調べる。身体についての具体的な記載はない。読み進む。「三文オペラ」のポーリー役(注、主役!)を演じたとある。歌も歌うのか…と思う。「お気に召すまま」のロザリンド(注、大主役!!)を演じたとも書かれている。来ましたね、とすると最低でも背丈は160センチはありますね、いいですね……と浅はかな予測と期待を胸に、この当然SSで合格するだろうはずのFの姿を求めて、私は「女性たちのシェイクスピア」オーデション2日目(212日)の稽古場にそわそわと落ち着きなく坐っていたのである。あれかな、と思う。これかな、と思う。そちらかいな、と思う。私の稽古場をうろつく視線の先には、いずれも160センチ以上の女性が着座している。いよいよFの登場である。トイレ近くの場所から、小柄な女性が立ち上がる。軽い失望感あり。お面=写真ではある。気を取り直す、Fの第一問(注、ラーンスロット・ゴボーの台詞)の朗読が始まる。太い声である。力強い声である。(アレ!男っぽい女性だな。)実に明確である。実に明晰である。シェイクスピアシアター流の台詞の朗読、FSを取ったという論文の分析どおりの台詞の方法を見事にF自身、実現しているのである!参りましたね!私はFに、実物のFに、心のなかで「しっかり…」と声にならない言葉で激励を贈り、私のささやかな祝福とした。
 ふたたび話は33日(土)、SF二人だけの個人稽古の場にも戻る。Fには首を振り、顎をしゃくり、顔で芝居をする悪癖はない。従って、SFはこの点においては、演劇的欠陥を共有してはいないのである。とすれば、それは決してN芸的共通遺伝子ではないということに結論される。では、その日(注、33日)、私はN芸的共通遺伝子を何一つ発見出来ずに、ただ稽古を続けただけかと言えば、そうはいかないところに、演出に携わる者が、「身に受けねばならぬ楽しい罰」(注、「間違いの喜劇」イージオン)(小田島雄志訳)とでも言っておかないことには、どうにも付き合いきれないだろうところの罰が虎視眈々と待ち受けていたのである。
 さて「女性たちのシェイクスピア」オーディション2日目、第一問が終り、第2問(注、ポーシャの慈悲についてのスピーチ)が始まる、その前に、私のシェイクスピアについての短い所感が挟まれました。(1、声は腹に宿る、内臓に宿る。)(2、文脈をシンプルに辿る。)(3、どうでもいいけど気持、心。)(4、からだ、風に揺れる樹、竹)といったあのシェイクスピア演技の4原則である。Fの第2問が始まる。第1問で私を驚かせ、最上級Sの評価を得たFに異変が起こる。声は伸びやかさを失い、文脈は渋滞し、明晰さにやや濁りがあるように見受けられる。しかし、それでもF50数人中、Sの位置をキープしていることは、まぎれもない事実である。
 オーデション2日目が無事に終わり、稽古場の片付けが始まる。するとS(注、先輩)が近寄ってきて苦笑いをうかべながら、「あれは、やっぱりN芸病ですかね。」と言う。「先生の話が、第2問の前にあったでしょう。あれに影響されたんじゃないですか。」もちろん私も、この同窓、同病のSの卓見に心の底から同感する。Sは誠実、忠実の人である。Fもまたそうだと思う。Sは、誠実、忠実すぎる人である。Fもまたそうだと思う。そこでSFに忠告したいと思う。誠実は、忠実は、シェイクスピア演技の新しい分野を切り開こうと日夜、苦心惨憺している先生(注、私のことです)には、とても貴重な、ありがたい心の糧である。しかし、例えば、演技の4原則に、あまりに誠実、あまりに忠実すぎるために、その4原則を絶対視し、絶対化し、宗教の戒律のように考えてしまう危険性が常に存在することに、十分に注意を払うことが大切なのである。原則は決して宗教ではない。人間を支配するもの、人間を奪うものではない。それはあくまでも、シェイクスピアの豊かな言葉の海、生命の海、人間の心のそのまた心の奥にあって、煮え滾るところの情熱の釜に到達しようとする必死の試みの単なるはじまりなのである。Sが生きる。Fが生きる。先生(注、再度、私のことです。)が生きる。シェイクスピアが動きはじめる。生きはじめる。そのための、ただそのためだけの原則、道具なのである。原則を祭り上げ、至上のものとするのではなく、人間の、実にいかがわしい、怪しげな、役立たずの、余計者の捏ねくり出した安物にすぎないという認識を、心の片隅に持ち続けることが必要不可欠だと考える。
 ここまでくると、当然N芸的遺伝子は、単に都内某私立大学芸術学部演劇学科の教室内の話だけには収まらなくなり、もう少し一般的な、もう少し普遍的な領域にまで拡大されるように思われる。しかし、いまここでは、そのことに深入りはしない。また、とうてい私の能力の及ぶところでもない。そのかわりに、個人的な話をしてみたい。原則の至上化、宗教化の話の参考になればとの考えからである。(注、どうかな?)
 私は、芝居者としては純粋に文学座育ちである。そこで25才より32才の約7年間を過ごした。私が文学座で学んだものは、芝居は先ず言葉、台詞だということである。言葉がいかに多様なニュアンスを持つか、またその表現(注、台詞をいうこと)がいかに微妙なものであり、細心の注意を払うことを必要とするかを、諸先輩たちの秀れた演技、演出を通して具体的に学んだのである。それから、もう一つ、諸先輩たちは、暗黙のうちに芝居なんて片肘張ってやるようなものじゃない、遊びだよ、遊び、とその日常の行動によって語っているように、若い私には思われた。そこで私も、稽古の終わる20分前には、その日のメンツを決めておいて、稽古終了と同時に通りの向うのマージャン屋に駆け込む一団の群れに身を投じるのを常としていた。文学座は、このように無節操な劇団であった。このように無思想な劇団であった。要するにだらしない、ひたすら家族的な雰囲気を大切にし、芝居なんて、そんなたいそうなものじゃない、ただの遊びだよ、といった空気が濃厚に漂っていた。私は、この空気を十二分に吸って、芝居者としての青春を生きた。私は、この文学座の、無節操、無思想、いわゆる演劇とは何のためにあるか、というような新劇の愚にもつかない思想の類の存在しないことのおかげで、なんとか、これまで芝居者としてやってこられたと思っている。実は私は、文学座に入る以前、新劇界の神話的演出家の主宰する劇団に入ろうと考えていた。(注、若気のあやまちである)しかし、そこの研究所は、その年廃止され、某短期大学演劇学部に吸収合併されることになっていた。そこで私は、たまたま観た杉村春子主演の「欲望という名の電車」に身の震えるような衝動を覚えて、文学座演劇研究所の試験を受けたのである。後年私は、ある仕事のために上記の神話的演出家に面会することになった。演出家は病床に伏せられていた。(注、その後間もなく亡くなられた。)演出家は言われた。「社会主義リアリズムだって、改良すれば、まだ使えると思うがね」私は一瞬耳を疑った。社会主義リアリズムとは、ソ連邦、スターリン体制下の芸術理論であり、それに反する無数の芸術家が粛清された。私は、この神話的演出家の主宰する劇団に入らなかった偶然を神様に感謝した。この劇団の原則、演劇思想のなかに生きていては、私は自分の正体を決して把えることができなかっただろうと思う……。つまり、何が言いたいかと言えば、文学座育ちのいいかげんな男の考えた怪しげなシェイクスピア演技4原則など、相対的な態度を以って実践して欲しいということなのである。
 Fよ、私たち(注、在籍15年のS、同10K…)は苦労、苦戦を強いられながら、なんとか4原則を頼りにシェイクスピアを上演し続けてきた。そこにFよ、君の登場である。どうか、私たちの戦場となったあの底なしの泥沼に足を取られることなく、自由に軽々と、シェイクスピアの言葉の海を泳ぎ渡って欲しい。それが先輩たちの切なる願いなのである。
 最後に、もう一度、履歴書に戻る。写真を見る。Fのつぶらな、疑うことを知らない瞳に贈る私のシェイクスピアの言葉(小田島雄志訳)
「なんてすばらしい!
りっぱな人たちがこんなにおおぜい!人間がこうも
美しいとは!ああ、すばらしい新世界だわ。
こういう人たちがいるとは!」(「テンペスト」ミランダの台詞)

2012年3月8日木曜日

先輩後輩

 オーディション2日目の様子についてはこのあたりで切り上げることにする。すでにかなりの時間が過ぎたと思うからである。これからは合格者たちの個人稽古の有様を取り上げ、それに対する私なりの所見を述べてみたいと思う。
1.合格者F(ジェシカ)の場合
 Fは小柄な女性である。しかしシェイクスピアシアターの豆粒、ドングリ、史上最少の女Sよりは3センチほど高いことが、私にはなによりも救いであり、朗報なのである。というのもシェイクスピアシアターは小女、小男、短身類の集合体であり、これ以上の小人軍団に囲まれて残り少ない人生を送ることには、少なからぬ抵抗感を覚えるものである。ところで、Fの比較対象者たるSがいかほどにドングリかと言えば、十数年前Sはアルバイト先で知り合った男性と愛し合い、結婚したい、するわ、という具合にとんとん拍子に話が弾み、進んでいった。そこで、当然、事の成り行き上、結婚式というものがある。私はどうもこの種の世の営みの類いが苦手である。肌に合わない。重い足を引き摺りながら式場に辿りつくと、受付はすでに終わっていて、列席者全員各々のテーブルに着いていた。私は一応花嫁Sの主賓ということになっている。「Sよ、おめでとう。これからも新郎ともどもお幸せに!」などとリアリティのないことをたっぷりリアリティの粉を振りかけて言うところの役柄である。花婿の主賓、彼の勤務する某食品会社の社長のスピーチが始まった。「・・君は、非常に真面目な、勤務態度の立派な、同僚の誰にも慕われる好青年です。」というような型どおりの花婿への賛辞を15秒ばかり続けると、花婿、花嫁はそっちのけにして、自分の会社の事業内容をここぞとばかり、徴に入り、細に入り、延々と約20分ほどにわたって詳説したのである。自分の会社がどんなにまっとうな会社であるか、業界でどんなに上位の地位を占めるか、繰り返し繰り返し力説したのである。社長はどうにも止まらない、どうにも手をつけられない領域に突入していた。列席全員、誰も社長の話を聞いていなかったと確信する。聞いているのは社長だけだった。これはいかんと私は思った。スピーチの堅気の部分はすっかり切り捨てようと思った。社長の話がやっと終わって私の番になった。私は、「Sはいつも稽古場の隅でネコのように眠っている。そのSが大学を卒業するやいなや、電光石火の如く結婚に走ったのはなにか魔が差したのだとしか考えられない。その魔とは、新郎の魔力、魅力のことだ。」と。自分でも全く信じていないような祝辞を口走ってその場を凌いだ。
 逸脱が過ぎた。本題に戻る。これではまるで社長の話である。さて、Sがいかほどにドングリかというと、結婚式にはどうにも了解不能な行事、キャンドルサービスというものがある。式も滞りなく進み、その得体の知れない儀式がはじまった。正直に言って、来るなと思った。単刀直入に言って助けてくれと思った。いまどのあたりか恐る恐る式場内を見まわす。何も見えない。まだ始まっていないようだ。簡明に言って助かったと思った。いまなら逃げられる。トイレに行こう……とその時なにやら式場の奥のほうで、どよめきが起こり、人の動きが波の動きになった。場内はかなりの暗さである。すでにキャンドルサービスは始まっていたのだ。だが、花嫁は見えなかった。花婿も同様であった。小柄なのかなと思った。そしてつまらぬことに思いを馳せた。「まだ会費を渡していなかったな、受付が終っていたからな、どうする、おい…」すると突然、Sの幸せそうな小さな丸顔が暗がりから襲いかかってきた。「Sよおめでとう」と小声で呟く自分を見ているもう一人の自分が天井のシャンデリアのあたりにいるように感じた。つまり、Sはこのように小粒であり、FはそのSよりも3センチほど身の丈が高いのである。将来、Fがキャンドルサービスを行う破目に陥った時、もしかするとこの3センチのおかげで、少しばかり式場内に存在することが周囲の目に映るかもしれないのである。そうであるよう願いたい……。
 ところでSは、Fの比較対象者であるだけの存在ではない。ただの豆粒、ドングリでは決してない。キャンドルサービスにおいてと同様、結婚生活そのものからも姿を消したのである。三年後の花嫁はいまや妻となり、同様に夫となった花婿は妻に「芝居をやめてくれ」といった。(注、至極もっともな要望である。)妻は「嫌よ」と夫の頼みを撥ねつけると、自分の身の丈の特性を生かしてサッサと夫のもとから姿を消したのである。妻は夫を捨て、ふたたび役者に立ち帰り、シェイクスピアを取ったのである。(注、本当だろうか?)
 それから数年後、私はSの勇気ある行為をたたえ、謝し、記念品として、今後遅刻したり、居眠りしたりしないようにと、目覚まし時計を贈呈したのである。その時もSは小さな顔を幸せそうに輝かせた。私はなんだかすまないような気持になった。
ところで、このSFとは、ともに都内某私立大学芸術学部演劇学科の卒業生であり、先輩後輩の関係にある。
3312時より「ヴェニスの商人」の個人稽古「運なるというべきか、命なるというべきか」(注、ラーンスロット・ゴボーの台詞)この日の出席者はS(ネリッサ)F(ジェシカ)の二人だけである。私にとっては某私立大学芸術学部演劇学科(注、N芸という)出身の二人が見せる演劇的反応のなかに共通のN芸的遺伝子が発見できるかどうかを知る絶好のチャンスなのである。Sの遺伝子についてはこの15年の経験からそれがいかにしつこくSの血に、肉に、骨に、食い込み、食い入り、そこに住みつき、定住し、土着民の頑強さをもって根づいているか、十分に承知させられている。
Sには顔(注、正確には首より上の部分)で芝居をするという癖がある。その身体的部分によって、台詞を、台詞の流れを、台詞の生命を捏ねくり回わし、押し潰すという悪癖である。Sにもこのことはよく分かっている。その病癖のために、私に執拗に責めたてられ、痛めつけられ、いじめ抜かれていたからである。しかし分かっていても、そこからなかなか抜け出せないのがこの病気の特徴である。私とSは、この十年間、Sがシェイクスピアシアターで主要な役を演じるようになり始めた時より、熾烈な、終わりのない戦いを続けている。
私は、Sのこの病気を、病弊を、小動物のように追い込み、追いつめ、攻めたて、責めつけ、「首、首、首、首ナシ、腰、腹、腰、腹、腰、内臓」と喚き、呻き、呪い、罵り、底なしの泥沼に、足を取られ、踠き、足掻き、泥にまみれ、水に溺れ、深い、深い底の底のほうにと引きずり込まれていく。Sは、それでも、しぶとく耐えて、耐えて、耐え抜き、一歩も譲らず、退かず、顔を背け、首を振り、顎をしゃくり、自分の病癖にしがみつく……。
この底なし沼の戦闘を少し冷静になって振り返ってみると、つぎの二つのことが考えられるように思われる。
    私のSの病癖に対する治療法が適切でない。
    Sの私の治療法に対する対処のしかたが適切でない。
いずれにしても私の心を訪れるものは、他人が、他人を教えることは出来ないという動かしがたい重い事実である。それは、なにもSにかぎったことではない。演出に携わるものとして、本質的に他者としての演技者に関わろうとするとき、それが、たとえ怒声、罵声を伴うものであったとしても、演技者の人格の核の核に潜むところのなにものかにまで届こうとする空しい試みを続けることを強いられる、というのが私の意見である。
 特にシェイクスピアの言葉においては、上記のSと私の間に見られるような、執拗に繰り返される格闘を抜きにしては、その本来の豊饒な生命力を十分に発揮することは不可能だと、私は確信している。そして、いまだ、日本にシェイクスピア演技の原理が存在しない以上、それをつくり出そうとすることは、全く新しい分野の仕事であり、それにはSと私の戦いは不可避だと思われる。
 Sが、芝居は顔でするものだと無意識に(注、無意識だからこそしぶといのである。)思い込んだのが、少女期、N芸期、シェイクスピアシアター期、いずれの時期だったかは、わからない、あるいはそれよりずっと以前だったかもしれない。とにかくSと私は長く、あまりにも長く戦い続けてきた。もうそろそろ、Sも私もその成果を挙げて、平和条約を締結してもいいころだと思うが、Sよ、どうだろうか。
 どうも話が横道にそれたようだ。主題はFである。Sの後輩、Fの場合である。
To Be Continued