2012年3月11日日曜日

先輩後輩Ⅱ

ここでまたオーディション2日目の記憶に戻る。Fの履歴書には、20105月シェイクスピアシアター公演「十二夜」を観た時の感想文が書かれている。
2010年に初めてシェイクスピア・シアターの舞台(「十二夜」)を観劇した時、私は感銘しました。なぜなら、舞台セットは一切ない空舞台で、役者の芝居だけが観客を魅了し、それが始終続き、観客席全体が舞台の世界に引きこまれていたように思えました。役者の「伝える!」という強い意識、そして途切れることのない生きるパワー且、冷静に台詞を話し、観客の呼吸を感じていた役者の姿に、私は惚れこみ、「かっこいい!」と思いました。舞台での生きるパワーは、ほとんどの舞台で感じますが(必死さ、演技に対して貪欲、アドリブなど)しかしそれはともすると観客が不快に感じてしまったり、引いてしまうことがあります。そうなると、戯曲の内容が伝わらなくなってしまい、劇場から出た後、「いまの舞台は、何だったのか?」と思ってしまう危険性があります。しかし、シェイクスピア・シアターの舞台の魅力は、生きるパワーを感じつつ、冷静な自分がそこに在る所です。私もその魅力を真近に感じ、戯曲のもつ美しい言葉たちを観客に聴かせ、私自身の生きるパワーを観客に感じさせられる役者になりたいと思っています。」(注、全文掲載)
Fは、上記の内容を論文にまとめ、担当教授に提出、最上級Sの評価を得た。この文章に触れた時、私がどんなに深く心を動かされ、どんなに心のこもった励ましを、勇気を与えられたか、これを書いたF自身にもとうてい想像がつかないことだと思われる。
 Fは実に見事に、実に適確に、実に気持ちをこめて、実に心をこめて、実に魂をこめて、私がこの40年の間必死に追い求めてきたシェイクスピアの言葉の表現方法を「十二夜」の舞台に見い出し、それに心暖まる支持を表明しているのである。私はこの5月で72才になる。Fとは50才の年令の差がある。S(注、在籍15年)との3センチの差とは比べものにならないほどの天文学的数字の隔たりである。何億光年もの天空の彼方から、このFの言葉は私の心に一羽の白鳥のように舞い降りてきたのである。「慈悲は(中略)天より降りきたって大地をうるおす恵みの雨のようなものなのだ。祝福は二重にある。慈悲は与えるものと受けるものとをともに祝福する。」(「ヴェニスの商人」ポーシャ)(小田島雄志訳)
とすれば、今度は私がFに祝福を与える番である。といってもFとは大違いの実に世俗的な、実に卑小な、実に貧相な祝福である。私はFのこの慈悲に満ちた感想文を読んだ時、すぐに、よし行こうと思った。Sだと思った。SSだと思った。担当教授に負けるものかと思った。後は、お面(注、めんと読む。顔の俗称)だなと思った。お面よ、よかれ、と思った。よかれでなくても、ほどほどであれ!と思った。お前にはSがある。感想文がある。そのコネがきく程度のお面であってくれと祈った。写真を見る。幼さをわずかに残す優しい顔である。履歴書の奥から、疑うことを知らないつぶらな瞳が、十分に怪しい、いかがわしい、疑わしい私をじっと見つめている。ああよかったと思う。Sとまではいかないが、Sにしようと思う。後、気になるのは身の丈である。再度履歴書を調べる。身体についての具体的な記載はない。読み進む。「三文オペラ」のポーリー役(注、主役!)を演じたとある。歌も歌うのか…と思う。「お気に召すまま」のロザリンド(注、大主役!!)を演じたとも書かれている。来ましたね、とすると最低でも背丈は160センチはありますね、いいですね……と浅はかな予測と期待を胸に、この当然SSで合格するだろうはずのFの姿を求めて、私は「女性たちのシェイクスピア」オーデション2日目(212日)の稽古場にそわそわと落ち着きなく坐っていたのである。あれかな、と思う。これかな、と思う。そちらかいな、と思う。私の稽古場をうろつく視線の先には、いずれも160センチ以上の女性が着座している。いよいよFの登場である。トイレ近くの場所から、小柄な女性が立ち上がる。軽い失望感あり。お面=写真ではある。気を取り直す、Fの第一問(注、ラーンスロット・ゴボーの台詞)の朗読が始まる。太い声である。力強い声である。(アレ!男っぽい女性だな。)実に明確である。実に明晰である。シェイクスピアシアター流の台詞の朗読、FSを取ったという論文の分析どおりの台詞の方法を見事にF自身、実現しているのである!参りましたね!私はFに、実物のFに、心のなかで「しっかり…」と声にならない言葉で激励を贈り、私のささやかな祝福とした。
 ふたたび話は33日(土)、SF二人だけの個人稽古の場にも戻る。Fには首を振り、顎をしゃくり、顔で芝居をする悪癖はない。従って、SFはこの点においては、演劇的欠陥を共有してはいないのである。とすれば、それは決してN芸的共通遺伝子ではないということに結論される。では、その日(注、33日)、私はN芸的共通遺伝子を何一つ発見出来ずに、ただ稽古を続けただけかと言えば、そうはいかないところに、演出に携わる者が、「身に受けねばならぬ楽しい罰」(注、「間違いの喜劇」イージオン)(小田島雄志訳)とでも言っておかないことには、どうにも付き合いきれないだろうところの罰が虎視眈々と待ち受けていたのである。
 さて「女性たちのシェイクスピア」オーディション2日目、第一問が終り、第2問(注、ポーシャの慈悲についてのスピーチ)が始まる、その前に、私のシェイクスピアについての短い所感が挟まれました。(1、声は腹に宿る、内臓に宿る。)(2、文脈をシンプルに辿る。)(3、どうでもいいけど気持、心。)(4、からだ、風に揺れる樹、竹)といったあのシェイクスピア演技の4原則である。Fの第2問が始まる。第1問で私を驚かせ、最上級Sの評価を得たFに異変が起こる。声は伸びやかさを失い、文脈は渋滞し、明晰さにやや濁りがあるように見受けられる。しかし、それでもF50数人中、Sの位置をキープしていることは、まぎれもない事実である。
 オーデション2日目が無事に終わり、稽古場の片付けが始まる。するとS(注、先輩)が近寄ってきて苦笑いをうかべながら、「あれは、やっぱりN芸病ですかね。」と言う。「先生の話が、第2問の前にあったでしょう。あれに影響されたんじゃないですか。」もちろん私も、この同窓、同病のSの卓見に心の底から同感する。Sは誠実、忠実の人である。Fもまたそうだと思う。Sは、誠実、忠実すぎる人である。Fもまたそうだと思う。そこでSFに忠告したいと思う。誠実は、忠実は、シェイクスピア演技の新しい分野を切り開こうと日夜、苦心惨憺している先生(注、私のことです)には、とても貴重な、ありがたい心の糧である。しかし、例えば、演技の4原則に、あまりに誠実、あまりに忠実すぎるために、その4原則を絶対視し、絶対化し、宗教の戒律のように考えてしまう危険性が常に存在することに、十分に注意を払うことが大切なのである。原則は決して宗教ではない。人間を支配するもの、人間を奪うものではない。それはあくまでも、シェイクスピアの豊かな言葉の海、生命の海、人間の心のそのまた心の奥にあって、煮え滾るところの情熱の釜に到達しようとする必死の試みの単なるはじまりなのである。Sが生きる。Fが生きる。先生(注、再度、私のことです。)が生きる。シェイクスピアが動きはじめる。生きはじめる。そのための、ただそのためだけの原則、道具なのである。原則を祭り上げ、至上のものとするのではなく、人間の、実にいかがわしい、怪しげな、役立たずの、余計者の捏ねくり出した安物にすぎないという認識を、心の片隅に持ち続けることが必要不可欠だと考える。
 ここまでくると、当然N芸的遺伝子は、単に都内某私立大学芸術学部演劇学科の教室内の話だけには収まらなくなり、もう少し一般的な、もう少し普遍的な領域にまで拡大されるように思われる。しかし、いまここでは、そのことに深入りはしない。また、とうてい私の能力の及ぶところでもない。そのかわりに、個人的な話をしてみたい。原則の至上化、宗教化の話の参考になればとの考えからである。(注、どうかな?)
 私は、芝居者としては純粋に文学座育ちである。そこで25才より32才の約7年間を過ごした。私が文学座で学んだものは、芝居は先ず言葉、台詞だということである。言葉がいかに多様なニュアンスを持つか、またその表現(注、台詞をいうこと)がいかに微妙なものであり、細心の注意を払うことを必要とするかを、諸先輩たちの秀れた演技、演出を通して具体的に学んだのである。それから、もう一つ、諸先輩たちは、暗黙のうちに芝居なんて片肘張ってやるようなものじゃない、遊びだよ、遊び、とその日常の行動によって語っているように、若い私には思われた。そこで私も、稽古の終わる20分前には、その日のメンツを決めておいて、稽古終了と同時に通りの向うのマージャン屋に駆け込む一団の群れに身を投じるのを常としていた。文学座は、このように無節操な劇団であった。このように無思想な劇団であった。要するにだらしない、ひたすら家族的な雰囲気を大切にし、芝居なんて、そんなたいそうなものじゃない、ただの遊びだよ、といった空気が濃厚に漂っていた。私は、この空気を十二分に吸って、芝居者としての青春を生きた。私は、この文学座の、無節操、無思想、いわゆる演劇とは何のためにあるか、というような新劇の愚にもつかない思想の類の存在しないことのおかげで、なんとか、これまで芝居者としてやってこられたと思っている。実は私は、文学座に入る以前、新劇界の神話的演出家の主宰する劇団に入ろうと考えていた。(注、若気のあやまちである)しかし、そこの研究所は、その年廃止され、某短期大学演劇学部に吸収合併されることになっていた。そこで私は、たまたま観た杉村春子主演の「欲望という名の電車」に身の震えるような衝動を覚えて、文学座演劇研究所の試験を受けたのである。後年私は、ある仕事のために上記の神話的演出家に面会することになった。演出家は病床に伏せられていた。(注、その後間もなく亡くなられた。)演出家は言われた。「社会主義リアリズムだって、改良すれば、まだ使えると思うがね」私は一瞬耳を疑った。社会主義リアリズムとは、ソ連邦、スターリン体制下の芸術理論であり、それに反する無数の芸術家が粛清された。私は、この神話的演出家の主宰する劇団に入らなかった偶然を神様に感謝した。この劇団の原則、演劇思想のなかに生きていては、私は自分の正体を決して把えることができなかっただろうと思う……。つまり、何が言いたいかと言えば、文学座育ちのいいかげんな男の考えた怪しげなシェイクスピア演技4原則など、相対的な態度を以って実践して欲しいということなのである。
 Fよ、私たち(注、在籍15年のS、同10K…)は苦労、苦戦を強いられながら、なんとか4原則を頼りにシェイクスピアを上演し続けてきた。そこにFよ、君の登場である。どうか、私たちの戦場となったあの底なしの泥沼に足を取られることなく、自由に軽々と、シェイクスピアの言葉の海を泳ぎ渡って欲しい。それが先輩たちの切なる願いなのである。
 最後に、もう一度、履歴書に戻る。写真を見る。Fのつぶらな、疑うことを知らない瞳に贈る私のシェイクスピアの言葉(小田島雄志訳)
「なんてすばらしい!
りっぱな人たちがこんなにおおぜい!人間がこうも
美しいとは!ああ、すばらしい新世界だわ。
こういう人たちがいるとは!」(「テンペスト」ミランダの台詞)

2012年3月8日木曜日

先輩後輩

 オーディション2日目の様子についてはこのあたりで切り上げることにする。すでにかなりの時間が過ぎたと思うからである。これからは合格者たちの個人稽古の有様を取り上げ、それに対する私なりの所見を述べてみたいと思う。
1.合格者F(ジェシカ)の場合
 Fは小柄な女性である。しかしシェイクスピアシアターの豆粒、ドングリ、史上最少の女Sよりは3センチほど高いことが、私にはなによりも救いであり、朗報なのである。というのもシェイクスピアシアターは小女、小男、短身類の集合体であり、これ以上の小人軍団に囲まれて残り少ない人生を送ることには、少なからぬ抵抗感を覚えるものである。ところで、Fの比較対象者たるSがいかほどにドングリかと言えば、十数年前Sはアルバイト先で知り合った男性と愛し合い、結婚したい、するわ、という具合にとんとん拍子に話が弾み、進んでいった。そこで、当然、事の成り行き上、結婚式というものがある。私はどうもこの種の世の営みの類いが苦手である。肌に合わない。重い足を引き摺りながら式場に辿りつくと、受付はすでに終わっていて、列席者全員各々のテーブルに着いていた。私は一応花嫁Sの主賓ということになっている。「Sよ、おめでとう。これからも新郎ともどもお幸せに!」などとリアリティのないことをたっぷりリアリティの粉を振りかけて言うところの役柄である。花婿の主賓、彼の勤務する某食品会社の社長のスピーチが始まった。「・・君は、非常に真面目な、勤務態度の立派な、同僚の誰にも慕われる好青年です。」というような型どおりの花婿への賛辞を15秒ばかり続けると、花婿、花嫁はそっちのけにして、自分の会社の事業内容をここぞとばかり、徴に入り、細に入り、延々と約20分ほどにわたって詳説したのである。自分の会社がどんなにまっとうな会社であるか、業界でどんなに上位の地位を占めるか、繰り返し繰り返し力説したのである。社長はどうにも止まらない、どうにも手をつけられない領域に突入していた。列席全員、誰も社長の話を聞いていなかったと確信する。聞いているのは社長だけだった。これはいかんと私は思った。スピーチの堅気の部分はすっかり切り捨てようと思った。社長の話がやっと終わって私の番になった。私は、「Sはいつも稽古場の隅でネコのように眠っている。そのSが大学を卒業するやいなや、電光石火の如く結婚に走ったのはなにか魔が差したのだとしか考えられない。その魔とは、新郎の魔力、魅力のことだ。」と。自分でも全く信じていないような祝辞を口走ってその場を凌いだ。
 逸脱が過ぎた。本題に戻る。これではまるで社長の話である。さて、Sがいかほどにドングリかというと、結婚式にはどうにも了解不能な行事、キャンドルサービスというものがある。式も滞りなく進み、その得体の知れない儀式がはじまった。正直に言って、来るなと思った。単刀直入に言って助けてくれと思った。いまどのあたりか恐る恐る式場内を見まわす。何も見えない。まだ始まっていないようだ。簡明に言って助かったと思った。いまなら逃げられる。トイレに行こう……とその時なにやら式場の奥のほうで、どよめきが起こり、人の動きが波の動きになった。場内はかなりの暗さである。すでにキャンドルサービスは始まっていたのだ。だが、花嫁は見えなかった。花婿も同様であった。小柄なのかなと思った。そしてつまらぬことに思いを馳せた。「まだ会費を渡していなかったな、受付が終っていたからな、どうする、おい…」すると突然、Sの幸せそうな小さな丸顔が暗がりから襲いかかってきた。「Sよおめでとう」と小声で呟く自分を見ているもう一人の自分が天井のシャンデリアのあたりにいるように感じた。つまり、Sはこのように小粒であり、FはそのSよりも3センチほど身の丈が高いのである。将来、Fがキャンドルサービスを行う破目に陥った時、もしかするとこの3センチのおかげで、少しばかり式場内に存在することが周囲の目に映るかもしれないのである。そうであるよう願いたい……。
 ところでSは、Fの比較対象者であるだけの存在ではない。ただの豆粒、ドングリでは決してない。キャンドルサービスにおいてと同様、結婚生活そのものからも姿を消したのである。三年後の花嫁はいまや妻となり、同様に夫となった花婿は妻に「芝居をやめてくれ」といった。(注、至極もっともな要望である。)妻は「嫌よ」と夫の頼みを撥ねつけると、自分の身の丈の特性を生かしてサッサと夫のもとから姿を消したのである。妻は夫を捨て、ふたたび役者に立ち帰り、シェイクスピアを取ったのである。(注、本当だろうか?)
 それから数年後、私はSの勇気ある行為をたたえ、謝し、記念品として、今後遅刻したり、居眠りしたりしないようにと、目覚まし時計を贈呈したのである。その時もSは小さな顔を幸せそうに輝かせた。私はなんだかすまないような気持になった。
ところで、このSFとは、ともに都内某私立大学芸術学部演劇学科の卒業生であり、先輩後輩の関係にある。
3312時より「ヴェニスの商人」の個人稽古「運なるというべきか、命なるというべきか」(注、ラーンスロット・ゴボーの台詞)この日の出席者はS(ネリッサ)F(ジェシカ)の二人だけである。私にとっては某私立大学芸術学部演劇学科(注、N芸という)出身の二人が見せる演劇的反応のなかに共通のN芸的遺伝子が発見できるかどうかを知る絶好のチャンスなのである。Sの遺伝子についてはこの15年の経験からそれがいかにしつこくSの血に、肉に、骨に、食い込み、食い入り、そこに住みつき、定住し、土着民の頑強さをもって根づいているか、十分に承知させられている。
Sには顔(注、正確には首より上の部分)で芝居をするという癖がある。その身体的部分によって、台詞を、台詞の流れを、台詞の生命を捏ねくり回わし、押し潰すという悪癖である。Sにもこのことはよく分かっている。その病癖のために、私に執拗に責めたてられ、痛めつけられ、いじめ抜かれていたからである。しかし分かっていても、そこからなかなか抜け出せないのがこの病気の特徴である。私とSは、この十年間、Sがシェイクスピアシアターで主要な役を演じるようになり始めた時より、熾烈な、終わりのない戦いを続けている。
私は、Sのこの病気を、病弊を、小動物のように追い込み、追いつめ、攻めたて、責めつけ、「首、首、首、首ナシ、腰、腹、腰、腹、腰、内臓」と喚き、呻き、呪い、罵り、底なしの泥沼に、足を取られ、踠き、足掻き、泥にまみれ、水に溺れ、深い、深い底の底のほうにと引きずり込まれていく。Sは、それでも、しぶとく耐えて、耐えて、耐え抜き、一歩も譲らず、退かず、顔を背け、首を振り、顎をしゃくり、自分の病癖にしがみつく……。
この底なし沼の戦闘を少し冷静になって振り返ってみると、つぎの二つのことが考えられるように思われる。
    私のSの病癖に対する治療法が適切でない。
    Sの私の治療法に対する対処のしかたが適切でない。
いずれにしても私の心を訪れるものは、他人が、他人を教えることは出来ないという動かしがたい重い事実である。それは、なにもSにかぎったことではない。演出に携わるものとして、本質的に他者としての演技者に関わろうとするとき、それが、たとえ怒声、罵声を伴うものであったとしても、演技者の人格の核の核に潜むところのなにものかにまで届こうとする空しい試みを続けることを強いられる、というのが私の意見である。
 特にシェイクスピアの言葉においては、上記のSと私の間に見られるような、執拗に繰り返される格闘を抜きにしては、その本来の豊饒な生命力を十分に発揮することは不可能だと、私は確信している。そして、いまだ、日本にシェイクスピア演技の原理が存在しない以上、それをつくり出そうとすることは、全く新しい分野の仕事であり、それにはSと私の戦いは不可避だと思われる。
 Sが、芝居は顔でするものだと無意識に(注、無意識だからこそしぶといのである。)思い込んだのが、少女期、N芸期、シェイクスピアシアター期、いずれの時期だったかは、わからない、あるいはそれよりずっと以前だったかもしれない。とにかくSと私は長く、あまりにも長く戦い続けてきた。もうそろそろ、Sも私もその成果を挙げて、平和条約を締結してもいいころだと思うが、Sよ、どうだろうか。
 どうも話が横道にそれたようだ。主題はFである。Sの後輩、Fの場合である。
To Be Continued

2012年2月29日水曜日

俳優座劇場にいく!

      212日オーディション2日目。
 午前915分全員集合する。但しSは前日より5分遅れの定刻5分前、Kは定刻30秒前の、はらはらどきどきさせる到着である。ここで言い忘れてはならないのは、写真家のO氏のことである。O氏は2年ほど前より、シェイクスピアシアターの舞台写真、稽古風景を撮り続けてくれている、しかも無償で。 O氏の熱意、執念は、いま私たちが失いつつあるなにか大切なもの、貴重なもの、尊いものを教えてくれるように思われる。それこそ、シェイクスピアシアターにとっては、あのポーシャの慈悲、天より降りきたっておのずから大地をうるおす恵みの雨のようなものなのである。ただO氏のいけないところは、被写体に私を選ぶ回数がとても多いことである。稽古場でも劇場でも、ふと気がつくとO氏がドアに隠れ、壁に潜み、椅子に沈み、幕に紛れて私をじっと監視しているのである。私はぶるるんと震えて身を縮め固くなる。どうも自然ではいられなくなるのである。いつだったか、O氏は、稽古場で私の背後から演技上の諸注意を受けている若い女性の姿を写真に収めたことがあった。その時、どうしたわけか、私は常用のソフト帽を傍の机の上に置いていた。不覚である。出来上がった写真の前景には、毛髪を失って、地肌の見える寂しげな私の後頭部があり、その向こう側には、真剣な眼差しで私の注意を食い入るように聞く女性がいた。私はぐさっと急所を刺されたような思いであった。まざまざと己の正体を知らされた気持であった。それ以来、私は自宅以外では絶対にソフト帽を頭から取らないことにし、O氏も絶対に私の後頭部を狙わないことになっている。
 今日(212)もO氏は前日同様、930分ごろに姿を見せると、先ず、ファミリーマートのそのまた隣りの整骨院(注、前回整体院は誤り)の目の前の路上をうろうろ徘徊する背広姿のTとHを注視、二人に誘われて通称ポーシャの小道と呼ばれている路地を急ぐ女性たちの後を追いかける。午前10時オーディション開始とともに、O氏はそっと稽古場に忍び入ると、狭い部屋の壁に岩場の小魚のように張りついて、ポーシャ化しようとする女性たちの生態を撮って、撮って、撮りまくる。私の背後は壁である。後ろに回られる心配はない。私はオーディションに集中する。女性たちの顔を見る。写真を見る。そしてもっとも大切な仕事、女性たちの声に耳を傾ける。
 さて、ここからは第一日のように順を追って話を進めていくのではなく、強い印象を受けた応募者たち、深く考えさせられた事柄等を中心に第二日の様子を報告することにする。
1、Mの場合。Mは大女である。しかも実によく引き締まった肉体の持ち主である。肩幅は広い・胸板厚い・四肢五体・五臓六腑、どこをとっても健康でないところはないと納得させる頑丈な体格である。身の丈、165センチ以上はある。力仕事をする労働者のからだをしている。履歴書を見る。某私立大学考古学科卒とある。縄文期、あるいは弥生期の昔々大昔の古い泥土(注、ドロツチと読みたい)を掘り返して、無上の喜びを感じている人たちの仲間である。しかし、Mには、シャベルで細かく土をいじるより、古層なる大地に向かって、鍬を大上段から振り下ろすほうが似合っているように思われる。実物を見る。実物だけで十分、写真は不要である。一目で気に入る。入らないわけがない。強い親密感を覚える。私の生まれた島根半島の半農半漁の村にもこのようなMに似た(注、失礼!)大柄の頑丈な、逞しい女性たちが何人もいて、村の細い路地を海の臭い、野の臭いをぷんぷんさせながら、うろうろと歩きまわっていた。私もこのような男勝りの女性たちに混ざって一緒に「ホイキタ、ジョイ、ホイキタ、ジョイ」と掛け声をかけながら村の小さな湾内にぐるりと海面を取り囲むように打たれた鰯網を力一杯手繰り寄せたものである。中学生の頃だ。また村の女性たちは、糞尿を入れた二つも肥桶(注、こえだご)を天秤で担いで曲がりくねった急な坂道を小高い山の上にある畑まで運んでいく。私も同じようにやったことがある。ぽちゃっ、ぽちゃっ、と音を立てて襲いかかる糞尿の危険から身を守るためには、天秤のバランスを微妙に保たなくてはならない。しかし女性たちは、実に見事な足取りで軽々と肥桶を担いで、山の上の畑を目指して坂道を登っていくのである……。
このような60年近くも前の経験にMを見ながら思いを馳せるのは、大変失礼なことだと十分に承知しているが、率直に言ってやはりMの立派な体格は、故郷の村の働き者の女性たちを思い出させるのである。いい知れぬ親近感を抱かせるのである。私は、Mはいけると思った。使えると思った。Mの卒業した某大学は、国語、歴史を専門にする教師たちがよく出る学校である。私の高校にもそういう先生が、何人もいた。当時の私の印象では、地味な部類に入る大学であった。Mはその地味な大学のそのまた地味な考古学科の出身なのである。これで地味でなければ、いったい何が地味なのだと問いただしたいほどの地味さである。私はまた粘り強いにちがいないとも判断した。そう断定して間違いないと強く自分に言い聞かせた、何しろ縄文期の土と深く付き合っているのだから。そして、朗読の結果次第では、応募した女性たち全員が配役されることなど夢にも考えたことのない、また絶対に配役を拒否するだろうある役をやってもらおうと腹を決めていた。朗読を聞く。元気である。ただ元気である。ひたすら元気である。元気なだけである。元気しかない……。それでもいけると思う。いけるはずだと強引に自分を説き伏せる。私のMへの親密感は決して消えることはないのである。再度、履歴書を見る。学生時代、劇団「くろひげ」を設立したとある。名前がいい。これならポーシャ志望であるはずがない。ますます意を強くする。履歴書の先を読む。「六本木の俳優座劇場まで所要時間、約1時間15分」と記載されている。実に気の早い話である。すでにもう「ヴェニスの商人」の上演に参加しており、これから俳優座劇場に通うことになっているのである。それには先ず、オーディションに合格する必要があるのである。それには絶対に他の女性たちが拒否するだろう役を引き受けなければならないのである。
 話は20数年前に遡る。ある男(注、わが劇団の役者)はまだ相手の意思を十分に確かめてもしていないのに、数度一緒にコーヒーを飲んだだけでの交際で、結婚を思い立ち、思い込み、それが目の前に迫ったものと錯覚、幻覚し、都営住宅の抽選の列に加わり見事当たりクジを引いて、住宅を手に入れたが、相手の女性は「あっそうなの」と言うが早いか男の手を離れ、イギリス留学に旅立ってしまった。しかしこの男、この深い失意からなんとか立ち直り、なかなかの役者となっていまも活躍している。
ところで、この早とちりこそシェイクスピアを志す者の必須の条件だというのが私の意見である。そして、すでに俳優座劇場に通うことを決めているMにはその条件が十分に備わっていると考えられる。私もまた風呂に入る時、湯が沸く前に全裸になり、そこではじめて、まだ水風呂と知り、タオルを体に巻きつけて寒さをしのぎながら、半裸のまま部屋の中をぐるぐる徘徊することがしばしばあるのである。家の者の冷たい叱責を「シェイクスピアに携わる者は常にこうでなくてはならぬ。」とわけのわからぬ弁解をする。余談ながら、この日、Mよりももっと気の早い女性がいた。何を勘違いしたのか実際に六本木俳優座劇場に行ってしまったのである。「1時間ほど遅れます。すみません」との電話が、かの地よりあった…。
ところで、これには後日譚がある。実はMはめでたいのかどうかよく分からないが、オーディションに合格した。数日後、私はMに会って例の役の話をした。するとMは、「嬉しいです」とにこにことした表情で言ったのである。「ありがとう!」と私は、天にも登る気持ちになってMに感謝した。その役の名は、老ゴボー、シャイロックの召使い、ラーンスロットゴボーの父親である。
 Mのために、また実際に俳優座劇場に行ってしまったもう一人の女性のために、シェイクスピアの言葉を贈る。

「心に思う人殺しはまだ想像にすぎぬのに、それが
生身のこの五体をゆさぶり、思い浮かべるだけで
その働きは麻痺し、現実に存在しないものしか
存在しないように思われる。」(マクベス)(小田島雄志訳)