2月10日午後3時すぎ、「女性たちのシェイクスピア」のオーディション(11日、12日)の準備をはじめる。といっても、狭い室内に椅子を並べるだけの話である。二種類のパイプ椅子、様々な形をした木製の椅子、同じく木製のベンチ。すぐに配置が終わる。30席はある。しかしどうもいけない。しっくりこない。バラバラである。統一感がない。孤独な椅子たちの寂しげな溜息が聞こえてきそうな気配である。これではせっかく応募してくれた女性たちがこの貧相で殺風景な光景を見て思わず尻ごみし、後ずさりし、くるりと背を向けて帰路を急ぐにちがいない。
ポスターを貼ってはどうかという意見が出る。早速仕事にとりかかる。室内に活気を与えるためである。壁のシミを隠すためである。次から次とポスターを貼りめぐらす。合わせてシェイクスピアシアター37年の歴史を誇示するためである。つぎにガラスの戸棚の中に飾られている紀伊國屋賞の表彰状を3センチほど右にずらす。「全三十七作品上演」の墨痕鮮やかな文字をはっきりと見せるためである。
すると突然、会場準備を手伝ってくれていた制作担当兼役者でもあるところのTが、驚きの声を上げる。「どうした、おい」と私。「こ、こんなものがありました。」と一枚のポスターを興奮気味に見せるT。それは30年ほど前の「ヘンリー六世三部作」一挙上演のポスターである。貴重な年代物である。「ソッソッ、それは日本演劇史の輝かしい記念碑、記念のポスター、記念の紙なんだぞ!売れば何万円にもなる代物だ。」と思わずわけのわからないことをうわずって口走る私。そして、「そこに貼ってくれ」と指さす場所は、明日のオーディションで私が坐ることになっている椅子の背後の壁である。見栄である。虚栄である。見せかけである。はっきり言って軽犯罪である。
「これはどうします?」とTがまた一枚のポスターを差し出す。原色のどぎつく描かれた怪物のような男の顔である。歯をむき出して大笑いしている。「トイレのドアの裏に貼っておけ。」と咄嗟に私は指示を出す。Tがうれしそうに飛んでいく。これから少なくとも一日に一回、私たちはトイレに入り、便器に腰を落着け、いざと身構えるなり、この怪物と対面することになる。出るものも出なくなるような顔にである。これは遊びである。戯れである。愚かしい儀式である。
怪物男の顔は、お神楽の獅子の顔によく似ている。顔をガブリと噛んでいただいて、己の虚栄の罪の、見せかけの罪の、ポスターを何枚も貼りまくって、壁のシミを隠そうと試みたり、稽古場内にでんと位置する流し場の存在感を少しでもやわらげようと企んだり、37年、ただ長く続いているだけのシェイクスピアシアターの歴史を誇示しようと画策したりするケチで、さもしい詐欺行為の罪のお払いをお願いしようというのである。
かんたんに言えば、笑ってごまかそうというのである。
午後5時30分。オーディション準備完了。
少し長くなるが、シェイクスピアの言葉を引用する。
「うわべをごまかす変装とはなんという罪作り、
悪魔のような悪人もこうして悪事を働くのね。
ハンサムな浮気男が蝋のようにやわらかい女の胸に
自分の姿を刻みつけることなどわけはない。
ああ、女の弱さ、……」(十二夜、ヴァイオラ)(小田島雄志訳)
(注)私もTも決してハンサムなどと言える柄ではない。