②Y(バッサーニオ)の場合
(注、親愛なる読者の皆様、大変遅れて申し訳ありません)
S(ポーシャ)の到着より2週間ほど前、2月下旬にはすでにバッサーニオYの稽古は始まっていた。Yはオーデションによって選ばれた女性である。選ばれた理由は、別に、第1問、第2問の朗読が良かったからではない。それは、これといって取り立てていうほどのものもない、いわば並すれすれの出来であった。ただ勢いはあった。といってもそれだけであった。私が最も注目し、選考の最も重要な要素としたのは、履歴書に高校時代、やり投げの選手であったこと、それにハーレー(注、アメリカ製のバイク)を乗りまわしていることであった。多くのオーデション参加者がクラシックバレエ歴8年、ジャズダンス歴5年、フラメンコ歴4年、バスケットボール歴2年、ソフトボール歴3年、水泳歴6年等々、履歴書にあることないこと平気で嘘八百を並べたてているなかで、やり投げは、その異質性に於いて際立っており、これだけは嘘はない、本当だと信じたのである。それにハーレイとは、いかにも恰好いい。さらに身長164㎝、美人とくると、何ともぐっとくる恰好よさである。私は乗物はからきし駄目である。自動車もオートバイも運転出来ない。自転車をこぐのがやっとである。(注、いまはどうかな…) またハーレイが何物であるかも詳らかに知らない。私の無能と無知がハーレイを乗りまわす長身の美人への妄想を強く掻き立て、その恰好よさの度合をますます浮揚させる。私はYと全くあてのない旅に出ることに決心する。
個人稽古初日(注、2月下旬)にはマネージャーのN女史が同行した。稽古を見たいという。熱心な人である。稽古が始まる。バッサーニオの劇中の第一声は、「やあ、例のどんちゃん騒ぎはいつだい」である。 「やあ」とYがいう。「待て」と私がいう。「やあ」とふたたびYが繰り返す。ふたたび「待て」と私が止める。喉声である。胸声である。大声である。ただそれだけである。相当な代物である。難物である。前途多難が予想される。本当に本当に困ったと思う。
ふと37年前のジァンジァン時代のことが脳裏をかすめる。昨年の4月、訃報を聞いたKとはじめて出会った時のことを思い出す。場所は荻窪駅前、ひょろ長い、馬面の青年がキョロキョロしながら私を待っていた。私もゴム草履、短パンのさえない恰好をしていた。Kをそれと認めた時の私の気持ちはいいようのない寂しいものであった。こんな奴と、こんなどこの馬の骨ともわからない奴とこれから先、いっしょに稽古に励むのかと思うと、励むにも励みようのない底知れない落胆、失望に襲われた。しかし、1年後には、Kはジァンジァンの中心的メンバーとなり、彼の演じた「十二夜」のマルヴォーリオ、「リア王」のリア、「夏の夜の夢」のボトムは、日本のシェイクスピア上演史上最高の演技であり、それを凌ぐほどのものは、いまだに出ていないというのが、私の確固たる考えである。彼の死を心より悼む。いま、テレビ、映画の世界で活躍するKと同期のW(男性)、S(男性)もその当時は20才前後の芝居も知らなければ、もちろんシェイクスピア作品は、全く知らない無知な青年たちであった。ただ、やたらにやる気だけはあり、その勢いは目を見張るものがあった。それだけが取り柄であった。いまバッサーニオのYにジァンジァン時代のWを、Sを重ねて見る。私を励ますためである。希望の源泉をつくるためである。Y(バッサーニオ)には、勢いがある。なにしろ、やり投げである。ハーレイである。やる気も十分にあると思う。W(男)、S(男)と同じだと思いたい。思い込みたい。絶対にそうであれ、Yよ!と祈りたい気持ちでいっぱいである。
稽古に戻る。マネージャーのN女史が注視している。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」のお辞儀をさせながら、「やあ」を言わせてみる。シェイクスピアシアターでは、ここ十年来、定番となっている台詞を言う時の体位である。芝居は腰である。下半身である。顔ではない。胸でもない。腰、腹である。台詞は腰で読むのである。腰が語るのである。誰が何と言おうと、どんな演技論、演劇論が、どんな立派なこと、勇ましいことを言おうと、芝居は絶対にただ腰である、腰の動きと、台詞の動き、文脈、台詞の生命の流動性、そのダイナミズムとを関係づけることである。台詞がある。腰が動く。それが、直感的に、本能的に連関するまでに毎日ただひたすらに腰を動かして台詞を読むのである。台詞をいずれは全身で生きるための準備をするのである。つまり、前述した「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」のお辞儀を繰り返すのである。床に坐っていてもいい。椅子に腰かけていてもいい。もちろん立っていてもいい。お辞儀、お辞儀、心を込めてのお辞儀の繰り返しである。腰を傷めたなら、幸いなことに稽古場のすぐ目の前には薬師前整骨院が待っている。私がお辞儀をする。Yがお辞儀をする。どうにもサマにならない。また私がお辞儀をする。2度、3度とやって見せる。Yが真似をする。やはりどうにもならない。私がまたお辞儀をする。Yがぎこちない、硬直したお辞儀で繰り返し答える。前途多難が具体化しつつあると感じる。私のやった通りにやったとばかりYは思っている。二人の距離は遠い、本当に遠いなぁ…。「アルバイトは何をやっているの」と聞いてみる。「A町のパン屋です。」とYが答える。「パン屋ではお客様にどんな挨拶を?」と尋ねる私に「いらっしゃいませ、ありがとうございます、です」とYは元気よく、直線的に腰を折って見せる。「A町ではもう少し丁寧にお辞儀はしないの、もう少し心を込めて。」「はい、でもこんな感じです。」 これはいかん、と少し焦る。お辞儀は使えそうにない。30分ほどお辞儀の稽古が続いたところで休憩に入る。マネージャーのN女史に感想を求める。「先生のダメが出る箇所は、いつも決まってYが台詞を食む(注、はむ と読む。食べるの雅語)所なんです。」とN女史は右手の指先を使ってパクリと小動物が食物に食いつくような真似をして見せる。私はN女史のこの「食む」という言葉に魅せられる。そしてなかなかの卓見、鋭い観察だと恐れ入る。Yは顎を出し、顎を杓り、顎を使って台詞を喋っていたのである。Yにとって芝居とは、演技とは顎なのである。これは、単なる癖というより、私の経験の教えるところでは、なかなかの、どんな特効薬もないところの難病である。それを直すためには自分自身の深い自覚と、それを克服するための強い意志、絶ゆまない努力が必要である。他人は「それまた、顎を出した」と指摘、注意することは出来る。しかし、そこまでである。そこから先、顎を使うことから立ち直るのはあくまでも当人であり、当人自身の戦いなのである。その日の2時間の稽古が終る。苦戦、苦闘の始まりである。帰り際にN女史が恐ろしい、しかし勇気ある言葉を残す。「血反吐が出るまで叩いて下さい。」
やはり2月下旬、二回目の個人稽古である。腰でのお辞儀を諦める。右手を肩の少し上の方に構えて、水平にゆっくり前に押し出す方法を使うことにする。同時に左手は胸の前方に置き、右手が出るのに合わせて同じ速さで引いていく。その時、右足に体重を乗せ、左の膝を緩める。目安は、シェイクスピアの詩の台詞1行に対して、右手が伸びきるまでとする。なお、この右手の動きにつられて、頭部、顔面が前方に傾いていかないように注意することが大切である。右手がゆっくり前方に押し出される。右足に体重が乗る。頭部、顔面は、この体重の移動とともに、気持、少し後に引くぐらいのほうがいい。といっても、それもまた、微妙な動きが必要である。私がやって見せる。右手を貯めながら前方に押し出す。Yも右手を前方に出す。しかし、この「貯める」という感覚がどうにもYは把めないでいる。この「貯める」を辞書で調べてみると「水を貯める」「お金を貯める」の他に「満を持して、こらえにこらえて……」とある。やり投げの選手であったのであれば、この「貯める」の感覚はすぐに理解できるはずであるが、現実にはなかなかそうはいかない。つまり、やりと言葉の違い、スポーツと芝居の違いである。Yはそう思い、これまで台詞を喋り、演技をしていたのだと考えられる。しかし、私にとっては、それは全く同一物なのである。スポーツはどんな競技でも、基本的には腰である。芝居の基本も腰である。腰の決まらない演技者は、舞台に出ていても出ていないも同然なのである。存在の不在である。要するにスポーツも、そして当然やり投げも、腰によって、腰という共通の場所を使うことによって、芝居に接近し、次第に同じようなものに変容していくのである。Yは立派な身体の持主である。腕には、すばらしい力瘤ができる。脚部には筋肉が力強く盛り上がっている。それにも拘らず、この逞しい身体のごく一部しか、台詞を語る時に参加させていないのである。稽古が続く。腕を貯め、押し出す感覚を繰り返し、繰り返し、練習させる。しかし、Yはすぐに腕だけだと思ってしまう。危険な誤解である。腕を貯め、押し出す源泉は言うまでもなく腰にある。いわば腰から、下半身から、腕が出ていくのである。この脚部、腰部、胸部、そして肩、腕と動いていく身体の柔軟性、流動性こそが、Yには、先ず最も求められる。Y(バッサーニオ)のいいところは熱心なことである。それも非常に熱心なことである。Y(バッサーニオ)は、いつも、いままでの自分を変えたいという。私の考えに翻訳すれば、それは顎と別れたい、顔と別れたい、胸と別れたい、上半身と別れたい、ということである。個人稽古を、毎回3時間、4時間と重ねるうちに少しずつ、腰から腕へのスムーズな移行が出来るようになってきた。あとはこの腕の貯め、前方への押し出しと台詞の流れ、文脈とを合わせることである。
いま、「グラシアーノが口にするのは果てしないほどの無意味な言葉の連続さ」の台詞の
① ② ③ ④
「果てしないほど/無意味な/言葉の/連続さ」を考えてみる。①は②に係る。①②は③に係る。①②③は、④に係る。つまり、①②③は④に係る長い形容詞的修飾語ということになる。この①②③の、④に向かって流れる言葉の文脈、言葉の生命の動きを、腰に源泉を持つ腕の貯めながら少しずつ前方に押し出される動きに合わせるのである。しかし、シェイクスピアの演技の基本は、何度も強調してきたように、声は腹からである。この腕の動きだけでそれが保障されるものではない。それにはまた、別の訓練を必要とするのである。
さて、Yの腕の動きと文脈のつながりに少しずつ進歩が見られるようになってきたところで、3月4日(土)午後6時、シェイクスピアシアターの1期生、2期生、3期生を中心に約30名ほど集まって、それまでに亡くなった同期生たち5人を偲ぶ会が催されることとなった。Y(バッサーニオ)との稽古は7時からに予定されている。懐かしいメンバーが、続々と集まってきて稽古場がごった返す。オフィーリアのSもいる。キャタリーナのYもいる。ロミオのT、ピンチ先生のS、フォルスタッフのW、ドグベリーのT等々…。思い出話に花が咲き乱れて、騒然となる。Y(バッサーニオ)が7時にやってくる。事務所用に使っている離れの2坪弱の小部屋で、腕を押し出しての稽古をはじめる。隣の稽古場からは、男たちの大声が響く、女たちのこぼれるような笑い声が聞こえる。酒宴は最高の盛り上がりを見せている。こちらの小部屋では、「外観の美しさは中身を裏切るものかもしれない」とYの腕が押し出される。すると37年前、ただ勢いだけの無知な青年であったWの大いに酔った賑やかなダミ声が、当時の勢いそのままに聞こえてくる。「だが、見すぼらしい鉛よ…」とY(バッサーニオ)が腕を貯める。YとWが重なり合って、私の耳に聞こえている。すると小部屋のドアをノックする音がする。オフィーリアのSである。ジァンジァン時代の写真を借りたいという。複写するためである。「どうぞ」と答えて稽古を続ける。またドアをたたく音、3期生のS(マライヤ)がトイレはどこですかと聞く。事務所をトイレと誤解したようである。15分ほど稽古を続ける。今日のYは順調である。安堵する。今度は、2期生のN(女性)が顔を出す。トイレはどこですかとまた聞いてくる。稽古場では、みんな上機嫌に酔っている。大騒ぎになっている。その隣の狭い小部屋では、Yの筋肉質の腕が繰り返し、繰り返し、前に押し出されている。
To Be Continued