③M(ロレンゾー)の場合 その他
最初シャイロックの娘ジェシカ、10日後には、もろもろの事情により、その恋人ロレンゾーに配役が変わった大阪在住のM(注、23才)はオーデションの合格者であり、唯一人の地方からの参加者である。Mの所属する大阪の心斎橋にある事務所からは「こちらから、やれと言わないと何もしようとしないのんびりした子なので、どうぞよろしくお願いします。」との主旨の長文のメールが届いていた。
3月23日午後「ぺリクリーズ」の練習をしているとキャリーバックをひくMが、薬師前整骨院前の稽古場に姿を現した。いかにも住み慣れたアパートに小旅行後に帰ってきたような風情、面持ちである。「やあ、よくきたね。」と私が言う。「よろしくお願いします。」と柔かくMが言う。もうそれでMはすっかりこの狭い貧相なポーシャの館(注、稽古場のこと)の住人である。子犬のようにかわいい顔をしている。履歴書に添付されていた写真よりも、またオーデションの時の実物よりも、ずっと恰好いい、おっとりとした、愛くるしい女性である。身長163㎝、すんなりと伸びた長い脚がそれよりもずっと高く見せている。恐らく、出演者の誰よりも豊かな胸の隆起が、緊張しきった稽古場の空気を素知らぬ気に泳ぐ姿はきっと美しい風景となるであろう。この見事な隆起に、私の悪しき習性である怒声、罵声の連打は不釣り合いであり、不適格であると十分に知りながらも、その悪しき習性を抑え切れないだろう自分がいるかもしれないと思うと、これから先がちょっと恐ろしい。それほどまでにM(ロレンゾー)の醸し出す雰囲気は、和の風味に溢れているのである。(注、趣味は温泉めぐり、岩盤浴)それだけではない。Mは3月23日に上京すると、池袋に住む知人の美容師宅に身を寄せ、池袋のとある居酒屋にアルバイト先を見つけ、自転車を購入すると、それに乗って不慣れな東京の街を走り、稽古場に通い始めた。(注、数日後に自転車を盗まれる。) 15日ほど知人宅にお世話になると、今度は、中野駅(注、シェイクスピアシアターの最寄駅)より阿佐ヶ谷駅を挟んで二つ目のJR高円寺駅より徒歩10数分のところにあるマンスリーマンションに引っ越した。そしてふたたび自転車を購入、それに乗って、毎日一日も欠かすことなく稽古場に通っている。Mは、そのおとなしい、おっとりとした外見とは裏腹に実にたくましい生活力の持ち主、行動の人なのである。
M(ロレンゾー)は上京初日、先ず「ぺリクリーズ」の稽古を見学する。Mは、腰を折ってお辞儀しながら、あるいは、腕を伸ばしながら台詞を発声する劇団員たちを興味深く眺めている。シェイクスピアターの練習方法に強い関心をもったように思われる。5時に「ペリクリーズ」の練習が終わると、それからはMの個人稽古である。この時は、まだ最初に配役されたジェシカのままである。在籍十年、短身度胸・満身愛嬌のK演ずるシャイロックの召使いラーンスロットゴボーを相手に「残念だわ、おまえがお父様から暇を取るというのは」とジェシカの別れの台詞をMが朗読する。Mのこの稽古場における記念すべき第一声である。お世辞にもうまいとはいえない。芝居というものに不慣れな印象を受ける。しかし、そこがなんともいいと思わせる何かをMは持っている。素朴である。素直である。天然である。下手でもなんでもいいよ、と思わず許してしまいそうになる気配がある。事務所育ちの人間には珍しい良質な原木、原石である。
3月下旬、私は、ほとんどS(ポーシャ)、Y(バッサーニオ)に掛かりきりであり、Mの稽古を見る余裕がない。そこで短身短足のKが、長身長足のMの面倒を見ることになった。Kにはそれが満更でもない様子が伺える。Mがどうも気に入っているようである。Mの稽古2日目、例のお辞儀による発声をMに試みるKがいる。狭い稽古場の5/6を、S(ポーシャ)、Y(バッサーニオ)の稽古に私が使い、1/6をMの稽古にKが使っている。向こうとこちら、両方の声が聞こえる。姿が見える。そんな事は構っていられない。贅沢なことは言っておられない。お辞儀するMをちらりと盗み見をする。腰が固い、腰が曲がらないとKをはじめ、N芸出身の新人Fたちが楽しそうに騒いでいる。たしかにMの腰は90度以上には曲がらない。直角のお辞儀である。Mを坐らせる。何人かで背中を押しての柔軟体操である。温泉めぐり、岩盤浴は役立たずの趣味なのかと、私は苦笑いをする。しかし、Mにはいっこうに、へこたれた様子はない。「アレ!ナンデヤロウ!」とむしろ暢気に驚いている。しかし、なによりも私にとって嬉しいのは、遠く大阪より上京し、約23万円もの費用を使ってマンスリーマンションに移り住んだMが、わずか2日ほどでこの稽古場に、このシェイクスピアシアターにすっかり馴染み、溶け込んでいることである。そして3日後には、直角のお辞儀はあと15㎝ほどで頭が両足に届くところまでに急速な進歩を見せる。まさに奇跡である。Kの熱心な指導の賜物である。そのことによって、お辞儀を使っての台詞の文脈の取り方が可能になってくる。実に素直な癖のない朗読が稽古場の1/6の向うから聞こえはじめる。実はKが指導していたのは、Mだけではなかった。S(ロレンゾー)もいた。N(サリーリオ)もいた。しかし、SもNもKの全身火の玉となっての稽古に耐え切れず、火だるまとなって炎上、脱落していった。他にもスケジュール上の不都合で二人が、演技能力の不足一人が、オーデション合格者計9人のうち5人が脱落していくという結果になった。個人稽古が始まってわずか一月ほどの間の出来事である。残るのは4人、Y(バッサーニオ)、F(ジェシカ)、そして上記の事情で配役の異動があり、老ゴボーと、サリーリオの二役を演じることになった某私立大考古学科出身のM(注、大阪のMではない)、そしてジェシカからロレンゾーに変わったMである。この四人をよくよく観察してみると、実に残るべくして残ったという印象が深い。特にY(バッサーニオ)と、M(老ゴボー、サリーリオ)は私の猛特訓にここまでよく耐えに耐えて、耐え忍んできた。二人に共通するのは喉声、胸声であったことである。これを矯正するためにM(老ゴボー、サリーリオ)の場合には、ただ稽古場を台詞を喋らせながら、後向きにぐるぐると速い速度で歩かせた。私はMを足で歩くというより、むしろ上半身を腰で運ぶような感覚で歩けと叱咤し続けた。少しでも声が上に、喉に、胸に上がると罵声を浴びせた。Mは一日で筋肉痛に襲われた。両脚の内側に、腰に、サロンパスを貼りつけた。それでも構わす後向きに稽古場を廻らせた。一月ほど続けると少しずつ声が下に、腹に落ちはじめてきた。いまも休まずそれを続けている。怒声、罵声の嵐が止むことはない。芝居の出来ない連中にかぎって芝居とは何かを考えたがる。頭で芝居して、それが何か立派なことであるかのように錯覚している。芝居は頭ではない。頭のいい奴が役者になんかなるはずがない。M(老ゴボー、サリーリオ)には、徹底してそのこと教え込む必要があった。いまもある。油断するとすぐになにかを考え、なにかを仕出かす。だから稽古場を後向きに腰に上半身を乗せてぐるぐる廻らせるのである。回転速度を速め、5周、6周、10周と廻ればなにも考えることが出来なくなってくる。考える暇、余裕がなくなってくる。息が切れる。はぁ、はぁ、と吐く息が荒くなってくる。両足がよろよろと縺れてくる。腰が砕けてくる。腰が崩れる。ふらふらと千鳥足になって、いまにも床に倒れそうになる。馬鹿状態である。白痴状態寸前である。その時なおも台詞を喋ろうとすれば、必死に発声しようとすれば、はじめて芝居は頭ではない、からだだ、腹だ、腰だ、足だ、と身にしみて分かるのである。15坪ほどしかない狭い稽古場が恨めしい。都内の小・中学校の校庭とまで行かなくとも、せめて体育館程度の広さが欲しいと切に願う。そこで、その広さのなかを M(老ゴボー、サリーリオ)を廻らせてみたい。芝居は頭だと考えている連中には最適の人間改造の場になると考えるからである。
正直に言おう。20代の頃、私は自分が体育会系の人間であることをすっかり忘れ、芝居を、主に新劇を、知的世界の産物であるかのように錯覚して、それを知的思考の対象とすることに過大な意味を与えていた。私の演出がなんとなくうまくいって、ヨッシャ!と思える時は、必ずといっていいほど、頭を働かせるよりもからだが自然に動いて芝居をつくらせていたにも拘わらず、それでもなお、芝居を知的に分析することに優位性を与えようと考え続けていた。60才の時に病気で倒れてから、はじめて少しずつ真剣に、芝居はひょっとしたらからだではないかと考えるようになった。それから10年たったいま、当初考えていたよりもはるかに芝居におけるからだの占める割合のい多いことに驚いている。極論すれば、芝居は100% からだ といってもいいぐらいだ、と考えている。
ところで、 Y(バッサーニオ)もまた、頭の病気を持っていることが、一月、二月と稽古が進むにつれて判明してきた。頭で考えることが好きなのである。好きで好きでたまらないのである。自分で私は分析好きといっているくらいである。個人稽古が夜の10時まで続いて、中野駅までの一緒の帰り道、Y(バッサーニオ)は、よく私に知的な術語を使って楽しそうに話しかけてきた。私は、奇妙な感覚に襲われた。Y(バッサーニオ)の台詞の喋り方の幼さ、未熟さに比べて、それはあまりにアンバランスな内容のように感じられたからである。ある時、私は、Y(バッサーニオ)になにも考えるな、何も感じるな、何も台詞に入れるな、ただいい声をしろ、それだけで台詞を言えと指示をした。すると、驚いたことに、Y(バッサーニオ)は、しっかりとした、よく響く声で、明確に台詞の文脈を語ったのである。つまりYは、考えることの好きなYは、台詞を考えに考え、感じに感じて、喉声になり、胸声になり、深みのない、うすっぺらな声になり、不明瞭に、不明確に台詞を喋ることを芝居だと、本当の芝居のありかただと考えていたわけである。だからといって、Y(バッサーニオ)の考え好きの傾向はそう簡単に矯正できる程度のものではない。相当に深刻な、根深い病気である。今日はうまくいっても、明日もうまくいくという保障はどこにもない。これまでも、もう大丈夫と何回も確信し、これではどうしようもないと何回も絶望的な気持に追いやられてきた。繰り返し、繰り返しの稽古である。それしかない。Y(バッサーニオ)もまたそこから、その病気から、脱却することの重要さを、自分にとっての大切さを十二分に認識している。何も考えずに、何も邪心抱かずに、ただ無心に台詞を喋る時のY(バッサーニオ)には、美しい存在感が溢れる。それを完全に把んで欲しいと願って、今日も私は稽古を続けている……。
オーデション合格者のうち、脱落せずに残ったもう一人、F(ジェシカ)については、あまり心配することはない、と私は考えている。たしかに都内某私立N芸大の出身だけあって、芝居を頭で考える傾向を少なからず持っている。しかし幸いなことにF(ジェシカ)には、素質として役者本能が十分に備わっており、それが頭で考えようとする傾向をはるかに凌駕してしまうのである。そしてF(ジェシカ)の場合、心配なのは、頭で考えることよりも、むしろ、その役者本能のほうなのである。F(ジェシカ)は、根っからの芝居好きである。芝居しすぎる人なのである。今日、生身の、生き生きとした芝居をしたとしても、明日は必ずといっていいほど、それをお芝居のお芝居、つまり単なる絵空事にしてしまう危険性を持っているのである。F(ジェシカ)の役者としての成長は、一にも、二にも、そこをどう超えるかにかかっている。
さて、冒頭のM(ロレンゾー)に話を戻す。M(ロレンゾー)には、Y(バッサーニオ)、M(老ゴボー、サリーリオ)と違って、頭で芝居を考えることを心配する要素は全くない。またF(ジェシカ)とも違って、お芝居をする傾向も少しも見られない。ただひたすらに、短身短足・全身熱心のKの教えを、なにほどの疑いも持たず、長身長足で素直に受けとめている。M(ロレンゾー)は、舞台に立つことが、ただ無邪気に楽しそうに、嬉しそうに見える。1例を挙げる。2日前、第一幕一場の立ち稽古。「まったく、どういうわけだかおれは憂鬱なんだ。」というアントーニオを友人たちが心配そうに見守っている。ロレンゾーのMもその一人のはずである。ところがふと目をやると、M(ロレンゾー)は我関せずとばかり、正面を向いてポーズを取り、嬉しそうににこにこしている。「おい、どうした、Mよ、これはファッションショーではないよ」と私。稽古場には明るい笑い声。もう1例。今日、第五幕の立ち稽古。ジェシカのFとロレンゾーのMが、月夜の庭園を美しい台詞を交互に語りながら散歩する場面。「はい、そこに坐って」と私。すると、M(ロレンゾー)は何を考えたか、さっさと芝居をやめると、稽古場の隅のほうに歩きだし、そこにあった椅子を一脚持って元の位置に戻ってきたのである。「なにするの」とあきれる私。「えっ…」と怪訝そうなM(ロレンゾー)。「そこに坐るんだよ、床に、そのまま」と笑いたくなる私。「そうですか」と事もなげに椅子を元に位置に戻すM(ロレンゾー)。万事こんな感じかな。これで芝居が出来たらどんなに幸福かと一瞬有らぬことを考えてしまう私も、大昔はこんなところもあったなぁと、芝居の世界に入りたてのころの自分をちらっと思い出す。しかし、いずれはそれではすまなくなるときがくる。 M(ロレンゾー)よ!そのまま素直に育てと祈る気持と、短身熱心・全身献身(注、シェイクスピアへの…)のKよ!このままよき指導を続けてくれと願う気持ちとが、私の心を切なくいっぱいにする。
(女性たちのシェイクスピア)「ヴェニスの商人」の新人たち、S(ポーシャ)、Y(バッサーニオ)、M(ロレンゾー)、F(ジェシカ)、M(老ゴボー、サリーリオ)へ贈るシェイクスピアの言葉。
「やってしまったらそれがなにかわかるでしょう。」(「恋の骨折り損」 田舎者のコスタードの台詞)(小田島雄志訳)