ここでまたオーディション2日目の記憶に戻る。Fの履歴書には、2010年5月シェイクスピアシアター公演「十二夜」を観た時の感想文が書かれている。
「2010年に初めてシェイクスピア・シアターの舞台(「十二夜」)を観劇した時、私は感銘しました。なぜなら、舞台セットは一切ない空舞台で、役者の芝居だけが観客を魅了し、それが始終続き、観客席全体が舞台の世界に引きこまれていたように思えました。役者の「伝える!」という強い意識、そして途切れることのない生きるパワー且、冷静に台詞を話し、観客の呼吸を感じていた役者の姿に、私は惚れこみ、「かっこいい!」と思いました。舞台での生きるパワーは、ほとんどの舞台で感じますが(必死さ、演技に対して貪欲、アドリブなど)しかしそれはともすると観客が不快に感じてしまったり、引いてしまうことがあります。そうなると、戯曲の内容が伝わらなくなってしまい、劇場から出た後、「いまの舞台は、何だったのか?」と思ってしまう危険性があります。しかし、シェイクスピア・シアターの舞台の魅力は、生きるパワーを感じつつ、冷静な自分がそこに在る所です。私もその魅力を真近に感じ、戯曲のもつ美しい言葉たちを観客に聴かせ、私自身の生きるパワーを観客に感じさせられる役者になりたいと思っています。」(注、全文掲載)
Fは、上記の内容を論文にまとめ、担当教授に提出、最上級Sの評価を得た。この文章に触れた時、私がどんなに深く心を動かされ、どんなに心のこもった励ましを、勇気を与えられたか、これを書いたF自身にもとうてい想像がつかないことだと思われる。
Fは実に見事に、実に適確に、実に気持ちをこめて、実に心をこめて、実に魂をこめて、私がこの40年の間必死に追い求めてきたシェイクスピアの言葉の表現方法を「十二夜」の舞台に見い出し、それに心暖まる支持を表明しているのである。私はこの5月で72才になる。Fとは50才の年令の差がある。S(注、在籍15年)との3センチの差とは比べものにならないほどの天文学的数字の隔たりである。何億光年もの天空の彼方から、このFの言葉は私の心に一羽の白鳥のように舞い降りてきたのである。「慈悲は(中略)天より降りきたって大地をうるおす恵みの雨のようなものなのだ。祝福は二重にある。慈悲は与えるものと受けるものとをともに祝福する。」(「ヴェニスの商人」ポーシャ)(小田島雄志訳)
とすれば、今度は私がFに祝福を与える番である。といってもFとは大違いの実に世俗的な、実に卑小な、実に貧相な祝福である。私はFのこの慈悲に満ちた感想文を読んだ時、すぐに、よし行こうと思った。Sだと思った。SSだと思った。担当教授に負けるものかと思った。後は、お面(注、めんと読む。顔の俗称)だなと思った。お面よ、よかれ、と思った。よかれでなくても、ほどほどであれ!と思った。お前にはSがある。感想文がある。そのコネがきく程度のお面であってくれと祈った。写真を見る。幼さをわずかに残す優しい顔である。履歴書の奥から、疑うことを知らないつぶらな瞳が、十分に怪しい、いかがわしい、疑わしい私をじっと見つめている。ああよかったと思う。Sとまではいかないが、Sにしようと思う。後、気になるのは身の丈である。再度履歴書を調べる。身体についての具体的な記載はない。読み進む。「三文オペラ」のポーリー役(注、主役!)を演じたとある。歌も歌うのか…と思う。「お気に召すまま」のロザリンド(注、大主役!!)を演じたとも書かれている。来ましたね、とすると最低でも背丈は160センチはありますね、いいですね……と浅はかな予測と期待を胸に、この当然SのSで合格するだろうはずのFの姿を求めて、私は「女性たちのシェイクスピア」オーデション2日目(2月12日)の稽古場にそわそわと落ち着きなく坐っていたのである。あれかな、と思う。これかな、と思う。そちらかいな、と思う。私の稽古場をうろつく視線の先には、いずれも160センチ以上の女性が着座している。いよいよFの登場である。トイレ近くの場所から、小柄な女性が立ち上がる。軽い失望感あり。お面=写真ではある。気を取り直す、Fの第一問(注、ラーンスロット・ゴボーの台詞)の朗読が始まる。太い声である。力強い声である。(アレ!男っぽい女性だな。)実に明確である。実に明晰である。シェイクスピアシアター流の台詞の朗読、FがSを取ったという論文の分析どおりの台詞の方法を見事にF自身、実現しているのである!参りましたね!私はFに、実物のFに、心のなかで「しっかり…」と声にならない言葉で激励を贈り、私のささやかな祝福とした。
ふたたび話は3月3日(土)、SとF二人だけの個人稽古の場にも戻る。Fには首を振り、顎をしゃくり、顔で芝居をする悪癖はない。従って、SとFはこの点においては、演劇的欠陥を共有してはいないのである。とすれば、それは決してN芸的共通遺伝子ではないということに結論される。では、その日(注、3月3日)、私はN芸的共通遺伝子を何一つ発見出来ずに、ただ稽古を続けただけかと言えば、そうはいかないところに、演出に携わる者が、「身に受けねばならぬ楽しい罰」(注、「間違いの喜劇」イージオン)(小田島雄志訳)とでも言っておかないことには、どうにも付き合いきれないだろうところの罰が虎視眈々と待ち受けていたのである。
さて「女性たちのシェイクスピア」オーディション2日目、第一問が終り、第2問(注、ポーシャの慈悲についてのスピーチ)が始まる、その前に、私のシェイクスピアについての短い所感が挟まれました。(1、声は腹に宿る、内臓に宿る。)(2、文脈をシンプルに辿る。)(3、どうでもいいけど気持、心。)(4、からだ、風に揺れる樹、竹)といったあのシェイクスピア演技の4原則である。Fの第2問が始まる。第1問で私を驚かせ、最上級Sの評価を得たFに異変が起こる。声は伸びやかさを失い、文脈は渋滞し、明晰さにやや濁りがあるように見受けられる。しかし、それでもFが50数人中、Sの位置をキープしていることは、まぎれもない事実である。
オーデション2日目が無事に終わり、稽古場の片付けが始まる。するとS(注、先輩)が近寄ってきて苦笑いをうかべながら、「あれは、やっぱりN芸病ですかね。」と言う。「先生の話が、第2問の前にあったでしょう。あれに影響されたんじゃないですか。」もちろん私も、この同窓、同病のSの卓見に心の底から同感する。Sは誠実、忠実の人である。Fもまたそうだと思う。Sは、誠実、忠実すぎる人である。Fもまたそうだと思う。そこでSとFに忠告したいと思う。誠実は、忠実は、シェイクスピア演技の新しい分野を切り開こうと日夜、苦心惨憺している先生(注、私のことです)には、とても貴重な、ありがたい心の糧である。しかし、例えば、演技の4原則に、あまりに誠実、あまりに忠実すぎるために、その4原則を絶対視し、絶対化し、宗教の戒律のように考えてしまう危険性が常に存在することに、十分に注意を払うことが大切なのである。原則は決して宗教ではない。人間を支配するもの、人間を奪うものではない。それはあくまでも、シェイクスピアの豊かな言葉の海、生命の海、人間の心のそのまた心の奥にあって、煮え滾るところの情熱の釜に到達しようとする必死の試みの単なるはじまりなのである。Sが生きる。Fが生きる。先生(注、再度、私のことです。)が生きる。シェイクスピアが動きはじめる。生きはじめる。そのための、ただそのためだけの原則、道具なのである。原則を祭り上げ、至上のものとするのではなく、人間の、実にいかがわしい、怪しげな、役立たずの、余計者の捏ねくり出した安物にすぎないという認識を、心の片隅に持ち続けることが必要不可欠だと考える。
ここまでくると、当然N芸的遺伝子は、単に都内某私立大学芸術学部演劇学科の教室内の話だけには収まらなくなり、もう少し一般的な、もう少し普遍的な領域にまで拡大されるように思われる。しかし、いまここでは、そのことに深入りはしない。また、とうてい私の能力の及ぶところでもない。そのかわりに、個人的な話をしてみたい。原則の至上化、宗教化の話の参考になればとの考えからである。(注、どうかな?)
私は、芝居者としては純粋に文学座育ちである。そこで25才より32才の約7年間を過ごした。私が文学座で学んだものは、芝居は先ず言葉、台詞だということである。言葉がいかに多様なニュアンスを持つか、またその表現(注、台詞をいうこと)がいかに微妙なものであり、細心の注意を払うことを必要とするかを、諸先輩たちの秀れた演技、演出を通して具体的に学んだのである。それから、もう一つ、諸先輩たちは、暗黙のうちに芝居なんて片肘張ってやるようなものじゃない、遊びだよ、遊び、とその日常の行動によって語っているように、若い私には思われた。そこで私も、稽古の終わる20分前には、その日のメンツを決めておいて、稽古終了と同時に通りの向うのマージャン屋に駆け込む一団の群れに身を投じるのを常としていた。文学座は、このように無節操な劇団であった。このように無思想な劇団であった。要するにだらしない、ひたすら家族的な雰囲気を大切にし、芝居なんて、そんなたいそうなものじゃない、ただの遊びだよ、といった空気が濃厚に漂っていた。私は、この空気を十二分に吸って、芝居者としての青春を生きた。私は、この文学座の、無節操、無思想、いわゆる演劇とは何のためにあるか、というような新劇の愚にもつかない思想の類の存在しないことのおかげで、なんとか、これまで芝居者としてやってこられたと思っている。実は私は、文学座に入る以前、新劇界の神話的演出家の主宰する劇団に入ろうと考えていた。(注、若気のあやまちである)しかし、そこの研究所は、その年廃止され、某短期大学演劇学部に吸収合併されることになっていた。そこで私は、たまたま観た杉村春子主演の「欲望という名の電車」に身の震えるような衝動を覚えて、文学座演劇研究所の試験を受けたのである。後年私は、ある仕事のために上記の神話的演出家に面会することになった。演出家は病床に伏せられていた。(注、その後間もなく亡くなられた。)演出家は言われた。「社会主義リアリズムだって、改良すれば、まだ使えると思うがね」私は一瞬耳を疑った。社会主義リアリズムとは、ソ連邦、スターリン体制下の芸術理論であり、それに反する無数の芸術家が粛清された。私は、この神話的演出家の主宰する劇団に入らなかった偶然を神様に感謝した。この劇団の原則、演劇思想のなかに生きていては、私は自分の正体を決して把えることができなかっただろうと思う……。つまり、何が言いたいかと言えば、文学座育ちのいいかげんな男の考えた怪しげなシェイクスピア演技4原則など、相対的な態度を以って実践して欲しいということなのである。
Fよ、私たち(注、在籍15年のS、同10年K…)は苦労、苦戦を強いられながら、なんとか4原則を頼りにシェイクスピアを上演し続けてきた。そこにFよ、君の登場である。どうか、私たちの戦場となったあの底なしの泥沼に足を取られることなく、自由に軽々と、シェイクスピアの言葉の海を泳ぎ渡って欲しい。それが先輩たちの切なる願いなのである。
最後に、もう一度、履歴書に戻る。写真を見る。Fのつぶらな、疑うことを知らない瞳に贈る私のシェイクスピアの言葉(小田島雄志訳)
「なんてすばらしい!
りっぱな人たちがこんなにおおぜい!人間がこうも
美しいとは!ああ、すばらしい新世界だわ。
こういう人たちがいるとは!」(「テンペスト」ミランダの台詞)