2012年4月22日日曜日

(女性たちのシェイクスピア)「ヴェニスの商人」の新人たち

M(ロレンゾー)の場合 その他
 最初シャイロックの娘ジェシカ、10日後には、もろもろの事情により、その恋人ロレンゾーに配役が変わった大阪在住のM(注、23才)はオーデションの合格者であり、唯一人の地方からの参加者である。Mの所属する大阪の心斎橋にある事務所からは「こちらから、やれと言わないと何もしようとしないのんびりした子なので、どうぞよろしくお願いします。」との主旨の長文のメールが届いていた。
 323日午後「ぺリクリーズ」の練習をしているとキャリーバックをひくMが、薬師前整骨院前の稽古場に姿を現した。いかにも住み慣れたアパートに小旅行後に帰ってきたような風情、面持ちである。「やあ、よくきたね。」と私が言う。「よろしくお願いします。」と柔かくMが言う。もうそれでMはすっかりこの狭い貧相なポーシャの館(注、稽古場のこと)の住人である。子犬のようにかわいい顔をしている。履歴書に添付されていた写真よりも、またオーデションの時の実物よりも、ずっと恰好いい、おっとりとした、愛くるしい女性である。身長163㎝、すんなりと伸びた長い脚がそれよりもずっと高く見せている。恐らく、出演者の誰よりも豊かな胸の隆起が、緊張しきった稽古場の空気を素知らぬ気に泳ぐ姿はきっと美しい風景となるであろう。この見事な隆起に、私の悪しき習性である怒声、罵声の連打は不釣り合いであり、不適格であると十分に知りながらも、その悪しき習性を抑え切れないだろう自分がいるかもしれないと思うと、これから先がちょっと恐ろしい。それほどまでにM(ロレンゾー)の醸し出す雰囲気は、和の風味に溢れているのである。(注、趣味は温泉めぐり、岩盤浴)それだけではない。M323日に上京すると、池袋に住む知人の美容師宅に身を寄せ、池袋のとある居酒屋にアルバイト先を見つけ、自転車を購入すると、それに乗って不慣れな東京の街を走り、稽古場に通い始めた。(注、数日後に自転車を盗まれる。) 15日ほど知人宅にお世話になると、今度は、中野駅(注、シェイクスピアシアターの最寄駅)より阿佐ヶ谷駅を挟んで二つ目のJR高円寺駅より徒歩10数分のところにあるマンスリーマンションに引っ越した。そしてふたたび自転車を購入、それに乗って、毎日一日も欠かすことなく稽古場に通っている。Mは、そのおとなしい、おっとりとした外見とは裏腹に実にたくましい生活力の持ち主、行動の人なのである。
 M(ロレンゾー)は上京初日、先ず「ぺリクリーズ」の稽古を見学する。Mは、腰を折ってお辞儀しながら、あるいは、腕を伸ばしながら台詞を発声する劇団員たちを興味深く眺めている。シェイクスピアターの練習方法に強い関心をもったように思われる。5時に「ペリクリーズ」の練習が終わると、それからはMの個人稽古である。この時は、まだ最初に配役されたジェシカのままである。在籍十年、短身度胸・満身愛嬌のK演ずるシャイロックの召使いラーンスロットゴボーを相手に「残念だわ、おまえがお父様から暇を取るというのは」とジェシカの別れの台詞をMが朗読する。Mのこの稽古場における記念すべき第一声である。お世辞にもうまいとはいえない。芝居というものに不慣れな印象を受ける。しかし、そこがなんともいいと思わせる何かをMは持っている。素朴である。素直である。天然である。下手でもなんでもいいよ、と思わず許してしまいそうになる気配がある。事務所育ちの人間には珍しい良質な原木、原石である。
 3月下旬、私は、ほとんどS(ポーシャ)、Y(バッサーニオ)に掛かりきりであり、Mの稽古を見る余裕がない。そこで短身短足のKが、長身長足のMの面倒を見ることになった。Kにはそれが満更でもない様子が伺える。Mがどうも気に入っているようである。Mの稽古2日目、例のお辞儀による発声をMに試みるKがいる。狭い稽古場の56を、S(ポーシャ)、Y(バッサーニオ)の稽古に私が使い、16Mの稽古にKが使っている。向こうとこちら、両方の声が聞こえる。姿が見える。そんな事は構っていられない。贅沢なことは言っておられない。お辞儀するMをちらりと盗み見をする。腰が固い、腰が曲がらないとKをはじめ、N芸出身の新人Fたちが楽しそうに騒いでいる。たしかにMの腰は90度以上には曲がらない。直角のお辞儀である。Mを坐らせる。何人かで背中を押しての柔軟体操である。温泉めぐり、岩盤浴は役立たずの趣味なのかと、私は苦笑いをする。しかし、Mにはいっこうに、へこたれた様子はない。「アレ!ナンデヤロウ!」とむしろ暢気に驚いている。しかし、なによりも私にとって嬉しいのは、遠く大阪より上京し、約23万円もの費用を使ってマンスリーマンションに移り住んだMが、わずか2日ほどでこの稽古場に、このシェイクスピアシアターにすっかり馴染み、溶け込んでいることである。そして3日後には、直角のお辞儀はあと15㎝ほどで頭が両足に届くところまでに急速な進歩を見せる。まさに奇跡である。Kの熱心な指導の賜物である。そのことによって、お辞儀を使っての台詞の文脈の取り方が可能になってくる。実に素直な癖のない朗読が稽古場の1/6の向うから聞こえはじめる。実はKが指導していたのは、Mだけではなかった。S(ロレンゾー)もいた。N(サリーリオ)もいた。しかし、SNKの全身火の玉となっての稽古に耐え切れず、火だるまとなって炎上、脱落していった。他にもスケジュール上の不都合で二人が、演技能力の不足一人が、オーデション合格者計9人のうち5人が脱落していくという結果になった。個人稽古が始まってわずか一月ほどの間の出来事である。残るのは4人、Y(バッサーニオ)、F(ジェシカ)、そして上記の事情で配役の異動があり、老ゴボーと、サリーリオの二役を演じることになった某私立大考古学科出身のM(注、大阪のMではない)、そしてジェシカからロレンゾーに変わったMである。この四人をよくよく観察してみると、実に残るべくして残ったという印象が深い。特にY(バッサーニオ)と、M(老ゴボー、サリーリオ)は私の猛特訓にここまでよく耐えに耐えて、耐え忍んできた。二人に共通するのは喉声、胸声であったことである。これを矯正するためにM(老ゴボー、サリーリオ)の場合には、ただ稽古場を台詞を喋らせながら、後向きにぐるぐると速い速度で歩かせた。私はMを足で歩くというより、むしろ上半身を腰で運ぶような感覚で歩けと叱咤し続けた。少しでも声が上に、喉に、胸に上がると罵声を浴びせた。Mは一日で筋肉痛に襲われた。両脚の内側に、腰に、サロンパスを貼りつけた。それでも構わす後向きに稽古場を廻らせた。一月ほど続けると少しずつ声が下に、腹に落ちはじめてきた。いまも休まずそれを続けている。怒声、罵声の嵐が止むことはない。芝居の出来ない連中にかぎって芝居とは何かを考えたがる。頭で芝居して、それが何か立派なことであるかのように錯覚している。芝居は頭ではない。頭のいい奴が役者になんかなるはずがない。M(老ゴボー、サリーリオ)には、徹底してそのこと教え込む必要があった。いまもある。油断するとすぐになにかを考え、なにかを仕出かす。だから稽古場を後向きに腰に上半身を乗せてぐるぐる廻らせるのである。回転速度を速め、5周、6周、10周と廻ればなにも考えることが出来なくなってくる。考える暇、余裕がなくなってくる。息が切れる。はぁ、はぁ、と吐く息が荒くなってくる。両足がよろよろと縺れてくる。腰が砕けてくる。腰が崩れる。ふらふらと千鳥足になって、いまにも床に倒れそうになる。馬鹿状態である。白痴状態寸前である。その時なおも台詞を喋ろうとすれば、必死に発声しようとすれば、はじめて芝居は頭ではない、からだだ、腹だ、腰だ、足だ、と身にしみて分かるのである。15坪ほどしかない狭い稽古場が恨めしい。都内の小・中学校の校庭とまで行かなくとも、せめて体育館程度の広さが欲しいと切に願う。そこで、その広さのなかを M(老ゴボー、サリーリオ)を廻らせてみたい。芝居は頭だと考えている連中には最適の人間改造の場になると考えるからである。
正直に言おう。20代の頃、私は自分が体育会系の人間であることをすっかり忘れ、芝居を、主に新劇を、知的世界の産物であるかのように錯覚して、それを知的思考の対象とすることに過大な意味を与えていた。私の演出がなんとなくうまくいって、ヨッシャ!と思える時は、必ずといっていいほど、頭を働かせるよりもからだが自然に動いて芝居をつくらせていたにも拘わらず、それでもなお、芝居を知的に分析することに優位性を与えようと考え続けていた。60才の時に病気で倒れてから、はじめて少しずつ真剣に、芝居はひょっとしたらからだではないかと考えるようになった。それから10年たったいま、当初考えていたよりもはるかに芝居におけるからだの占める割合のい多いことに驚いている。極論すれば、芝居は100% からだ といってもいいぐらいだ、と考えている。
ところで、 Y(バッサーニオ)もまた、頭の病気を持っていることが、一月、二月と稽古が進むにつれて判明してきた。頭で考えることが好きなのである。好きで好きでたまらないのである。自分で私は分析好きといっているくらいである。個人稽古が夜の10時まで続いて、中野駅までの一緒の帰り道、Y(バッサーニオ)は、よく私に知的な術語を使って楽しそうに話しかけてきた。私は、奇妙な感覚に襲われた。Y(バッサーニオ)の台詞の喋り方の幼さ、未熟さに比べて、それはあまりにアンバランスな内容のように感じられたからである。ある時、私は、Y(バッサーニオ)になにも考えるな、何も感じるな、何も台詞に入れるな、ただいい声をしろ、それだけで台詞を言えと指示をした。すると、驚いたことに、Y(バッサーニオ)は、しっかりとした、よく響く声で、明確に台詞の文脈を語ったのである。つまりYは、考えることの好きなYは、台詞を考えに考え、感じに感じて、喉声になり、胸声になり、深みのない、うすっぺらな声になり、不明瞭に、不明確に台詞を喋ることを芝居だと、本当の芝居のありかただと考えていたわけである。だからといって、Y(バッサーニオ)の考え好きの傾向はそう簡単に矯正できる程度のものではない。相当に深刻な、根深い病気である。今日はうまくいっても、明日もうまくいくという保障はどこにもない。これまでも、もう大丈夫と何回も確信し、これではどうしようもないと何回も絶望的な気持に追いやられてきた。繰り返し、繰り返しの稽古である。それしかない。Y(バッサーニオ)もまたそこから、その病気から、脱却することの重要さを、自分にとっての大切さを十二分に認識している。何も考えずに、何も邪心抱かずに、ただ無心に台詞を喋る時のY(バッサーニオ)には、美しい存在感が溢れる。それを完全に把んで欲しいと願って、今日も私は稽古を続けている……。
オーデション合格者のうち、脱落せずに残ったもう一人、F(ジェシカ)については、あまり心配することはない、と私は考えている。たしかに都内某私立N芸大の出身だけあって、芝居を頭で考える傾向を少なからず持っている。しかし幸いなことにF(ジェシカ)には、素質として役者本能が十分に備わっており、それが頭で考えようとする傾向をはるかに凌駕してしまうのである。そしてF(ジェシカ)の場合、心配なのは、頭で考えることよりも、むしろ、その役者本能のほうなのである。F(ジェシカ)は、根っからの芝居好きである。芝居しすぎる人なのである。今日、生身の、生き生きとした芝居をしたとしても、明日は必ずといっていいほど、それをお芝居のお芝居、つまり単なる絵空事にしてしまう危険性を持っているのである。F(ジェシカ)の役者としての成長は、一にも、二にも、そこをどう超えるかにかかっている。
さて、冒頭のM(ロレンゾー)に話を戻す。M(ロレンゾー)には、Y(バッサーニオ)、M(老ゴボー、サリーリオ)と違って、頭で芝居を考えることを心配する要素は全くない。またF(ジェシカ)とも違って、お芝居をする傾向も少しも見られない。ただひたすらに、短身短足・全身熱心のKの教えを、なにほどの疑いも持たず、長身長足で素直に受けとめている。M(ロレンゾー)は、舞台に立つことが、ただ無邪気に楽しそうに、嬉しそうに見える。1例を挙げる。2日前、第一幕一場の立ち稽古。「まったく、どういうわけだかおれは憂鬱なんだ。」というアントーニオを友人たちが心配そうに見守っている。ロレンゾーのMもその一人のはずである。ところがふと目をやると、M(ロレンゾー)は我関せずとばかり、正面を向いてポーズを取り、嬉しそうににこにこしている。「おい、どうした、Mよ、これはファッションショーではないよ」と私。稽古場には明るい笑い声。もう1例。今日、第五幕の立ち稽古。ジェシカのFとロレンゾーのMが、月夜の庭園を美しい台詞を交互に語りながら散歩する場面。「はい、そこに坐って」と私。すると、M(ロレンゾー)は何を考えたか、さっさと芝居をやめると、稽古場の隅のほうに歩きだし、そこにあった椅子を一脚持って元の位置に戻ってきたのである。「なにするの」とあきれる私。「えっ…」と怪訝そうなM(ロレンゾー)。「そこに坐るんだよ、床に、そのまま」と笑いたくなる私。「そうですか」と事もなげに椅子を元に位置に戻すM(ロレンゾー)。万事こんな感じかな。これで芝居が出来たらどんなに幸福かと一瞬有らぬことを考えてしまう私も、大昔はこんなところもあったなぁと、芝居の世界に入りたてのころの自分をちらっと思い出す。しかし、いずれはそれではすまなくなるときがくる。 M(ロレンゾー)よ!そのまま素直に育てと祈る気持と、短身熱心・全身献身(注、シェイクスピアへの…)のKよ!このままよき指導を続けてくれと願う気持ちとが、私の心を切なくいっぱいにする。
(女性たちのシェイクスピア)「ヴェニスの商人」の新人たち、S(ポーシャ)、Y(バッサーニオ)、M(ロレンゾー)、F(ジェシカ)、M(老ゴボー、サリーリオ)へ贈るシェイクスピアの言葉。
「やってしまったらそれがなにかわかるでしょう。」(「恋の骨折り損」 田舎者のコスタードの台詞)(小田島雄志訳)

2012年4月10日火曜日

(女性たちのシェイクスピア)「ヴェニスの商人」の新人たち

Y(バッサーニオ)の場合
(注、親愛なる読者の皆様、大変遅れて申し訳ありません)
 S(ポーシャ)の到着より2週間ほど前、2月下旬にはすでにバッサーニオYの稽古は始まっていた。Yはオーデションによって選ばれた女性である。選ばれた理由は、別に、第1問、第2問の朗読が良かったからではない。それは、これといって取り立てていうほどのものもない、いわば並すれすれの出来であった。ただ勢いはあった。といってもそれだけであった。私が最も注目し、選考の最も重要な要素としたのは、履歴書に高校時代、やり投げの選手であったこと、それにハーレー(注、アメリカ製のバイク)を乗りまわしていることであった。多くのオーデション参加者がクラシックバレエ歴8年、ジャズダンス歴5年、フラメンコ歴4年、バスケットボール歴2年、ソフトボール歴3年、水泳歴6年等々、履歴書にあることないこと平気で嘘八百を並べたてているなかで、やり投げは、その異質性に於いて際立っており、これだけは嘘はない、本当だと信じたのである。それにハーレイとは、いかにも恰好いい。さらに身長164㎝、美人とくると、何ともぐっとくる恰好よさである。私は乗物はからきし駄目である。自動車もオートバイも運転出来ない。自転車をこぐのがやっとである。(注、いまはどうかな…) またハーレイが何物であるかも詳らかに知らない。私の無能と無知がハーレイを乗りまわす長身の美人への妄想を強く掻き立て、その恰好よさの度合をますます浮揚させる。私はYと全くあてのない旅に出ることに決心する。
 個人稽古初日(注、2月下旬)にはマネージャーのN女史が同行した。稽古を見たいという。熱心な人である。稽古が始まる。バッサーニオの劇中の第一声は、「やあ、例のどんちゃん騒ぎはいつだい」である。 「やあ」とYがいう。「待て」と私がいう。「やあ」とふたたびYが繰り返す。ふたたび「待て」と私が止める。喉声である。胸声である。大声である。ただそれだけである。相当な代物である。難物である。前途多難が予想される。本当に本当に困ったと思う。
ふと37年前のジァンジァン時代のことが脳裏をかすめる。昨年の4月、訃報を聞いたKとはじめて出会った時のことを思い出す。場所は荻窪駅前、ひょろ長い、馬面の青年がキョロキョロしながら私を待っていた。私もゴム草履、短パンのさえない恰好をしていた。Kをそれと認めた時の私の気持ちはいいようのない寂しいものであった。こんな奴と、こんなどこの馬の骨ともわからない奴とこれから先、いっしょに稽古に励むのかと思うと、励むにも励みようのない底知れない落胆、失望に襲われた。しかし、1年後には、Kはジァンジァンの中心的メンバーとなり、彼の演じた「十二夜」のマルヴォーリオ、「リア王」のリア、「夏の夜の夢」のボトムは、日本のシェイクスピア上演史上最高の演技であり、それを凌ぐほどのものは、いまだに出ていないというのが、私の確固たる考えである。彼の死を心より悼む。いま、テレビ、映画の世界で活躍するKと同期のW(男性)、S(男性)もその当時は20才前後の芝居も知らなければ、もちろんシェイクスピア作品は、全く知らない無知な青年たちであった。ただ、やたらにやる気だけはあり、その勢いは目を見張るものがあった。それだけが取り柄であった。いまバッサーニオのYにジァンジァン時代のWを、Sを重ねて見る。私を励ますためである。希望の源泉をつくるためである。Y(バッサーニオ)には、勢いがある。なにしろ、やり投げである。ハーレイである。やる気も十分にあると思う。W(男)、S(男)と同じだと思いたい。思い込みたい。絶対にそうであれ、Yよ!と祈りたい気持ちでいっぱいである。
稽古に戻る。マネージャーのN女史が注視している。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」のお辞儀をさせながら、「やあ」を言わせてみる。シェイクスピアシアターでは、ここ十年来、定番となっている台詞を言う時の体位である。芝居は腰である。下半身である。顔ではない。胸でもない。腰、腹である。台詞は腰で読むのである。腰が語るのである。誰が何と言おうと、どんな演技論、演劇論が、どんな立派なこと、勇ましいことを言おうと、芝居は絶対にただ腰である、腰の動きと、台詞の動き、文脈、台詞の生命の流動性、そのダイナミズムとを関係づけることである。台詞がある。腰が動く。それが、直感的に、本能的に連関するまでに毎日ただひたすらに腰を動かして台詞を読むのである。台詞をいずれは全身で生きるための準備をするのである。つまり、前述した「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」のお辞儀を繰り返すのである。床に坐っていてもいい。椅子に腰かけていてもいい。もちろん立っていてもいい。お辞儀、お辞儀、心を込めてのお辞儀の繰り返しである。腰を傷めたなら、幸いなことに稽古場のすぐ目の前には薬師前整骨院が待っている。私がお辞儀をする。Yがお辞儀をする。どうにもサマにならない。また私がお辞儀をする。2度、3度とやって見せる。Yが真似をする。やはりどうにもならない。私がまたお辞儀をする。Yがぎこちない、硬直したお辞儀で繰り返し答える。前途多難が具体化しつつあると感じる。私のやった通りにやったとばかりYは思っている。二人の距離は遠い、本当に遠いなぁ…。「アルバイトは何をやっているの」と聞いてみる。「A町のパン屋です。」とYが答える。「パン屋ではお客様にどんな挨拶を?」と尋ねる私に「いらっしゃいませ、ありがとうございます、です」とYは元気よく、直線的に腰を折って見せる。「A町ではもう少し丁寧にお辞儀はしないの、もう少し心を込めて。」「はい、でもこんな感じです。」  これはいかん、と少し焦る。お辞儀は使えそうにない。30分ほどお辞儀の稽古が続いたところで休憩に入る。マネージャーのN女史に感想を求める。「先生のダメが出る箇所は、いつも決まってYが台詞を食む(注、はむ と読む。食べるの雅語)所なんです。」とN女史は右手の指先を使ってパクリと小動物が食物に食いつくような真似をして見せる。私はN女史のこの「食む」という言葉に魅せられる。そしてなかなかの卓見、鋭い観察だと恐れ入る。Yは顎を出し、顎を杓り、顎を使って台詞を喋っていたのである。Yにとって芝居とは、演技とは顎なのである。これは、単なる癖というより、私の経験の教えるところでは、なかなかの、どんな特効薬もないところの難病である。それを直すためには自分自身の深い自覚と、それを克服するための強い意志、絶ゆまない努力が必要である。他人は「それまた、顎を出した」と指摘、注意することは出来る。しかし、そこまでである。そこから先、顎を使うことから立ち直るのはあくまでも当人であり、当人自身の戦いなのである。その日の2時間の稽古が終る。苦戦、苦闘の始まりである。帰り際にN女史が恐ろしい、しかし勇気ある言葉を残す。「血反吐が出るまで叩いて下さい。」
やはり2月下旬、二回目の個人稽古である。腰でのお辞儀を諦める。右手を肩の少し上の方に構えて、水平にゆっくり前に押し出す方法を使うことにする。同時に左手は胸の前方に置き、右手が出るのに合わせて同じ速さで引いていく。その時、右足に体重を乗せ、左の膝を緩める。目安は、シェイクスピアの詩の台詞1行に対して、右手が伸びきるまでとする。なお、この右手の動きにつられて、頭部、顔面が前方に傾いていかないように注意することが大切である。右手がゆっくり前方に押し出される。右足に体重が乗る。頭部、顔面は、この体重の移動とともに、気持、少し後に引くぐらいのほうがいい。といっても、それもまた、微妙な動きが必要である。私がやって見せる。右手を貯めながら前方に押し出す。Yも右手を前方に出す。しかし、この「貯める」という感覚がどうにもYは把めないでいる。この「貯める」を辞書で調べてみると「水を貯める」「お金を貯める」の他に「満を持して、こらえにこらえて……」とある。やり投げの選手であったのであれば、この「貯める」の感覚はすぐに理解できるはずであるが、現実にはなかなかそうはいかない。つまり、やりと言葉の違い、スポーツと芝居の違いである。Yはそう思い、これまで台詞を喋り、演技をしていたのだと考えられる。しかし、私にとっては、それは全く同一物なのである。スポーツはどんな競技でも、基本的には腰である。芝居の基本も腰である。腰の決まらない演技者は、舞台に出ていても出ていないも同然なのである。存在の不在である。要するにスポーツも、そして当然やり投げも、腰によって、腰という共通の場所を使うことによって、芝居に接近し、次第に同じようなものに変容していくのである。Yは立派な身体の持主である。腕には、すばらしい力瘤ができる。脚部には筋肉が力強く盛り上がっている。それにも拘らず、この逞しい身体のごく一部しか、台詞を語る時に参加させていないのである。稽古が続く。腕を貯め、押し出す感覚を繰り返し、繰り返し、練習させる。しかし、Yはすぐに腕だけだと思ってしまう。危険な誤解である。腕を貯め、押し出す源泉は言うまでもなく腰にある。いわば腰から、下半身から、腕が出ていくのである。この脚部、腰部、胸部、そして肩、腕と動いていく身体の柔軟性、流動性こそが、Yには、先ず最も求められる。Y(バッサーニオ)のいいところは熱心なことである。それも非常に熱心なことである。Y(バッサーニオ)は、いつも、いままでの自分を変えたいという。私の考えに翻訳すれば、それは顎と別れたい、顔と別れたい、胸と別れたい、上半身と別れたい、ということである。個人稽古を、毎回3時間、4時間と重ねるうちに少しずつ、腰から腕へのスムーズな移行が出来るようになってきた。あとはこの腕の貯め、前方への押し出しと台詞の流れ、文脈とを合わせることである。
いま、「グラシアーノが口にするのは果てしないほどの無意味な言葉の連続さ」の台詞の
     ①       ②     ③     ④
「果てしないほど/無意味な/言葉の/連続さ」を考えてみる。①は②に係る。①②は③に係る。①②③は、④に係る。つまり、①②③は④に係る長い形容詞的修飾語ということになる。この①②③の、④に向かって流れる言葉の文脈、言葉の生命の動きを、腰に源泉を持つ腕の貯めながら少しずつ前方に押し出される動きに合わせるのである。しかし、シェイクスピアの演技の基本は、何度も強調してきたように、声は腹からである。この腕の動きだけでそれが保障されるものではない。それにはまた、別の訓練を必要とするのである。
さて、Yの腕の動きと文脈のつながりに少しずつ進歩が見られるようになってきたところで、34日(土)午後6時、シェイクスピアシアターの1期生、2期生、3期生を中心に約30名ほど集まって、それまでに亡くなった同期生たち5人を偲ぶ会が催されることとなった。Y(バッサーニオ)との稽古は7時からに予定されている。懐かしいメンバーが、続々と集まってきて稽古場がごった返す。オフィーリアのSもいる。キャタリーナのYもいる。ロミオのT、ピンチ先生のS、フォルスタッフのW、ドグベリーのT等々…。思い出話に花が咲き乱れて、騒然となる。Y(バッサーニオ)が7時にやってくる。事務所用に使っている離れの2坪弱の小部屋で、腕を押し出しての稽古をはじめる。隣の稽古場からは、男たちの大声が響く、女たちのこぼれるような笑い声が聞こえる。酒宴は最高の盛り上がりを見せている。こちらの小部屋では、「外観の美しさは中身を裏切るものかもしれない」とYの腕が押し出される。すると37年前、ただ勢いだけの無知な青年であったWの大いに酔った賑やかなダミ声が、当時の勢いそのままに聞こえてくる。「だが、見すぼらしい鉛よ…」とY(バッサーニオ)が腕を貯める。YWが重なり合って、私の耳に聞こえている。すると小部屋のドアをノックする音がする。オフィーリアのSである。ジァンジァン時代の写真を借りたいという。複写するためである。「どうぞ」と答えて稽古を続ける。またドアをたたく音、3期生のS(マライヤ)がトイレはどこですかと聞く。事務所をトイレと誤解したようである。15分ほど稽古を続ける。今日のYは順調である。安堵する。今度は、2期生のN(女性)が顔を出す。トイレはどこですかとまた聞いてくる。稽古場では、みんな上機嫌に酔っている。大騒ぎになっている。その隣の狭い小部屋では、Yの筋肉質の腕が繰り返し、繰り返し、前に押し出されている。
To Be Continued

2012年4月1日日曜日

(女性たちのシェイクスピア)「ヴェニスの商人」の新人たち

S(ポーシャ)の場合
 ここで言うSとは、シェイクスピアシアタ―のS(ネリッサ)のことではない。ポーシャのSのことである。私がはじめてS(ポーシャ)を見たのは、昨年の7月初旬、文学座新館2Fの稽古場、研修生の有志による自主発表会に出かけた時である。演目は、村上春樹原作「海辺のカフカ」。室内に入って、入口側の急拵えの椅子席(注、約30席)の中央に腰を下ろすと、右側の壁の前に背広姿の女性が背筋をすらりと伸ばしてパイプ椅子に坐っているのが目に入る。目はそこに止まったままじっと動かなくなる。細面の美しい人である。長身の痩身である。清らかな空気が柔かくあたりを包んでいる。心が騒ぐのを覚える。理由は分からない。なにか大切なもの、貴重なもの、決して手離してはならないものと出会っているのだと心の奥の声が告げる。ヒッチコックの映画「めまい」の主人公ジェイムズ・スチュワートが美術館で一枚の絵に見入るキム・ノバクに心を奪われる場面を思い出す。(注、カッコヨスギカ?)私もまた、身じろぎもせず一心に前方を見つめて、未知の時間を呼吸しつつ端坐する人の美しい顔に目を奪われ、心を乱されて。どこに行きつくかもわからない未知の時間を、同じように呼吸している自分を見い出す。その人が誰かも知らない。その人の名前も分からない。発表会を見に来た人では決してない。客席に姿を見せたまま、舞台への登場を待っている出演者の姿勢かと見える。緊張の息づかいを静かに殺している気配がわずかに感じられる。なにがこうまで引き寄せるのか、なぜこうまで引き込まれるのか。静かなたたずまいのうちに多少の品格さえ備えて着座する若い女性。その人のすんなりとした白い手に紡がれ、繰り出されて、私の心の奥の、そのまた奥の根にしっかりと結びつき、絡みつき、ぐいぐいと手繰り寄せる見えない一本の糸の正体を、いま、この場で探り当てることは私にはとても難しいことのように感じられる。私は虚の世界に住む人間である。実に世界にはとてもそぐわない宿命に置かれているように感じながら、少年期を生き、青年期を生き、いまもそのように生き続けている。だらしない、仕方のない、役立たずの、厄介者の生き様である。その私が、私を引き寄せて止まないこの見えない白い糸の秘密を解き明かそうとすれば、この美しい横顔を見せて静かに端坐する若い女性を、逆に虚の世界に引きいれて、そこに共に生きるほかに術がないのではないかと思われる。切に一緒に仕事をしたいと願う。
 芝居が始まる。戦中、戦後、現代と各時代の傷ついた魂たちの漂流、邂逅、別離の物語が、性的言語を多用しながらSF風に展開される。その人が着坐の姿勢を崩す。いよいよ登場の時が訪れる。私の右前方に背広姿で立つその人は、すらりとした背丈の細面にわずかに少年の面影を宿すかに見える清潔な女性である。女性は難解な存在論的哲学用語を立て続けに早口で喋り続ける。女性はどうやら地方都市の図書館に勤める司書のようである。すると突然この司書が言い放つ言葉。「私、セックスする時は肛門を使うの」 この手のことには十分に慣れているはずの私の心に一瞬動揺が走る。どぎまぎしてうろたえる自分を不思議そうに見ているもう一人の自分がいる。恐らくそれは、この若い女性の清潔感と、「肛門」とのアンバランスな組合せから来るものだろうと思われる。動揺が鎮まると、奇妙なことに、私の心に一種の爽快感が残る。私はそれを嬉しさいっぱいの気持で受け容れている。「肛門」はこの若い女性の発語によって、浄化、浄清されることになったのではないかと考える自分をもう一人の自分がやや苦笑しながら眺めている。舞台ではそんなことにはお構いなしに司書による自己の存在についての哲学的分析が早口でひたすらに続けられている。司書は、心は男性でからだは女性の性同一性の人間である。心としての男性がからだとしての女性を拒否して肛門を使用してのセックスにおよぶのである。女性は、舞台上の位置を持続して少しも変えることはない。そのまますらりと立ち続けて、性同一性の自分の存在について懸命に語りかける。相手の、年上の同僚女性もまた、学生時代内ゲバで恋人を殺された暗い記憶を持つ。図書館の一室での、傷ついた二つ魂の出会う場面である。女性は決してうまいとはいえない。むしろ、多分に、生硬さを残す演技である。それにも拘わらず、あまりの早口、あまりの難解な用語の故に、時々痞えながら語り続ける台詞の背後に、なにかが呼ぶ声を聞く。なにかが招く手を見る。幻聴である。幻視である。しかし虚の世界の住人にとっては、それが実の声、実の手なのである。虚の住人は、また、思い込み、思い違いの人でもある。私の墓碑銘はすでに決まっている。「マルヴォーリオよ、安らかに眠れ!」(注、「十二夜」取り違いの大名人)である。これまで私は、決して思い込みではない、思い違いではないと確信しながらも、何度も思い違え、取り違えを繰り返してきた。私の個人史は、思い込みの連続史であり、思い違いの多量に陳列される宝物殿である。しかし、これはいままでとは違う、これはそういうことではないと思う心がすでに思い込みであることを知りながらも、その危険に勇んで身を投じるのが虚の住人の特権的特技というものである。
 舞台が終る。有望な新人たちの、実に新鮮な感覚に彩られた、実に刺激的な舞台であった。「海辺のカフカ」が村上春樹の作品の中でどのような位置を占めるのか、いまの私には分からない。もうずいぶん彼の作品を手にすることがなくなっているからである。「ノルウェーの森」を夢中になって読み、その後2、3冊読んだところで、村上作品との私の交流は終わっている。たしかに、新人たちの舞台は未熟であり、未完成であった。纏まりのつかない箇所も多く見られた。しかしそれにも拘らず、私がこの舞台を高く評価するのは、これほどまでに傷つき果てた魂たちの時空を超えて漂流する物語を、文学座のアトリエ公演、本公演に見ることは極めて稀なためである。それだけではない。新人たちの見せる演技は司書も含めて、村上春樹の深い挫折感の言葉を自分の言葉として、自分のからだを通して発せようとする必死の姿勢に貫かれており、それが、生々しい存在感を見るものに与えているのである。その演技は新人たちが卒業公演で、研修生発表会で見せたものとは全く異質の、つくりものではない、現実に生きる自分と舞台に生きる自分との関係を探し続け、求め続けるところから生まれる演技というものの真の姿を示す、秀れた性質を有するものであった。
 芝居の数日後、私は端坐の人がSであること、研修生2年であることを知る。ともに虚の世界に生きるにはまだ半年以上もあることになる。(注、卒業するまでは原則として外部出演禁止) 二度目に私がSを見たのは、今年の1月21日(土)午後6時30分、文学座アトリエ、研修生の卒業公演の時である。演目はイギリスの作家の芝居で「OUR  COUNTRY`S GOOD―われらが祖国のために―」(演出松本裕子)である。研修生2年の人たちはこれが最後の発表会であり、これによって最終的に準座員として文学座に残るかどうかが決まる大切な公演である。
 あの日、昨年の七月初旬、一心に前方を見つめ、未知の時間を呼吸しつつ静かに着坐していた清らかな性同一性の司書は、ここでは暴力的な荒くれものの女囚に変貌して登場する。「男が好きなのは女のオ××コだけよ」とSが喚めいても、「オ××コ」、「オ××コ」と連発しても私には少しの動揺もない。まごつきも、うろたえもない。なにか遠い風景のようにそれを見ている平静な自分がいるだけである。なぜなら、私にとってのSとは、芝居以前のS、「海辺のカフカ」の登場を端然と待ち続けるS、その時のSの手から送り届けられた一本の白い糸だけがSと私の縁(注、えにし)の明かしだからである。
 芝居が終る。アトリエの外に出て、私は同じ舞台に出ていた知人のKを待つ。するとSが私のすぐ横を早足に通りすぎて、卒業公演を見に来てくれた友人たちのほうに向かっていく。風が立つ。心が騒ぐ。Kが出てくる。3/4は賞める。1/4はいまひとつと伝える。Kが感謝と別れの挨拶を告げる。Sの姿はもう見えない。アトリエを後にする。帰路に着く。道々、卒業公演について考える。素晴らしい演技を見せる新人女性が一人いた。群を抜いて際立っていたと思う。声も身体も、時に力強く、大胆に、時に微妙に、繊細に、自在に変化して豊かな演技を舞台上に十二分に発揮していた。その女性だけが翻訳劇の領域を越えて、自分を表現していた。SKも、その後に続いて標準以上の出来映えを示していたと私は思う。(注、後日、三人とも準座員に昇格しなかったことを知り、ショックを受ける)
 卒業公演後すぐに文学座映放部の三上氏にSの出演の申し込みをする。その旨伝えるが、まだ準座員に昇格するかどうか分からないので、責任を持てないとの返事を得る。一応文学座を通すのが筋と考えて、Sへの直接の連絡はとらないことにする。待つ。待ち続ける。何事もない。一月程たったところで三上氏に連絡を入れる。Sは関心を持っているという。よかったと思う。ほっと安心もする。しかし祖父の病気の看護で岡山に(注、本当は倉敷でした)に帰っている、いつ会えるか分からないと三上氏。ポーシャをお願いしますと告げる。そしてまた待つ。一週間待ち続ける。待ち切れなくなったところで電話を入れる。お委せしますとSから回答がありました、と三上氏の声が明るい。
 3月上旬、薬師前整骨院前の稽古場(注、ポーシャ邸)にいよいよポーシャのSが登場する。
To Be Continued