2012年3月8日木曜日

先輩後輩

 オーディション2日目の様子についてはこのあたりで切り上げることにする。すでにかなりの時間が過ぎたと思うからである。これからは合格者たちの個人稽古の有様を取り上げ、それに対する私なりの所見を述べてみたいと思う。
1.合格者F(ジェシカ)の場合
 Fは小柄な女性である。しかしシェイクスピアシアターの豆粒、ドングリ、史上最少の女Sよりは3センチほど高いことが、私にはなによりも救いであり、朗報なのである。というのもシェイクスピアシアターは小女、小男、短身類の集合体であり、これ以上の小人軍団に囲まれて残り少ない人生を送ることには、少なからぬ抵抗感を覚えるものである。ところで、Fの比較対象者たるSがいかほどにドングリかと言えば、十数年前Sはアルバイト先で知り合った男性と愛し合い、結婚したい、するわ、という具合にとんとん拍子に話が弾み、進んでいった。そこで、当然、事の成り行き上、結婚式というものがある。私はどうもこの種の世の営みの類いが苦手である。肌に合わない。重い足を引き摺りながら式場に辿りつくと、受付はすでに終わっていて、列席者全員各々のテーブルに着いていた。私は一応花嫁Sの主賓ということになっている。「Sよ、おめでとう。これからも新郎ともどもお幸せに!」などとリアリティのないことをたっぷりリアリティの粉を振りかけて言うところの役柄である。花婿の主賓、彼の勤務する某食品会社の社長のスピーチが始まった。「・・君は、非常に真面目な、勤務態度の立派な、同僚の誰にも慕われる好青年です。」というような型どおりの花婿への賛辞を15秒ばかり続けると、花婿、花嫁はそっちのけにして、自分の会社の事業内容をここぞとばかり、徴に入り、細に入り、延々と約20分ほどにわたって詳説したのである。自分の会社がどんなにまっとうな会社であるか、業界でどんなに上位の地位を占めるか、繰り返し繰り返し力説したのである。社長はどうにも止まらない、どうにも手をつけられない領域に突入していた。列席全員、誰も社長の話を聞いていなかったと確信する。聞いているのは社長だけだった。これはいかんと私は思った。スピーチの堅気の部分はすっかり切り捨てようと思った。社長の話がやっと終わって私の番になった。私は、「Sはいつも稽古場の隅でネコのように眠っている。そのSが大学を卒業するやいなや、電光石火の如く結婚に走ったのはなにか魔が差したのだとしか考えられない。その魔とは、新郎の魔力、魅力のことだ。」と。自分でも全く信じていないような祝辞を口走ってその場を凌いだ。
 逸脱が過ぎた。本題に戻る。これではまるで社長の話である。さて、Sがいかほどにドングリかというと、結婚式にはどうにも了解不能な行事、キャンドルサービスというものがある。式も滞りなく進み、その得体の知れない儀式がはじまった。正直に言って、来るなと思った。単刀直入に言って助けてくれと思った。いまどのあたりか恐る恐る式場内を見まわす。何も見えない。まだ始まっていないようだ。簡明に言って助かったと思った。いまなら逃げられる。トイレに行こう……とその時なにやら式場の奥のほうで、どよめきが起こり、人の動きが波の動きになった。場内はかなりの暗さである。すでにキャンドルサービスは始まっていたのだ。だが、花嫁は見えなかった。花婿も同様であった。小柄なのかなと思った。そしてつまらぬことに思いを馳せた。「まだ会費を渡していなかったな、受付が終っていたからな、どうする、おい…」すると突然、Sの幸せそうな小さな丸顔が暗がりから襲いかかってきた。「Sよおめでとう」と小声で呟く自分を見ているもう一人の自分が天井のシャンデリアのあたりにいるように感じた。つまり、Sはこのように小粒であり、FはそのSよりも3センチほど身の丈が高いのである。将来、Fがキャンドルサービスを行う破目に陥った時、もしかするとこの3センチのおかげで、少しばかり式場内に存在することが周囲の目に映るかもしれないのである。そうであるよう願いたい……。
 ところでSは、Fの比較対象者であるだけの存在ではない。ただの豆粒、ドングリでは決してない。キャンドルサービスにおいてと同様、結婚生活そのものからも姿を消したのである。三年後の花嫁はいまや妻となり、同様に夫となった花婿は妻に「芝居をやめてくれ」といった。(注、至極もっともな要望である。)妻は「嫌よ」と夫の頼みを撥ねつけると、自分の身の丈の特性を生かしてサッサと夫のもとから姿を消したのである。妻は夫を捨て、ふたたび役者に立ち帰り、シェイクスピアを取ったのである。(注、本当だろうか?)
 それから数年後、私はSの勇気ある行為をたたえ、謝し、記念品として、今後遅刻したり、居眠りしたりしないようにと、目覚まし時計を贈呈したのである。その時もSは小さな顔を幸せそうに輝かせた。私はなんだかすまないような気持になった。
ところで、このSFとは、ともに都内某私立大学芸術学部演劇学科の卒業生であり、先輩後輩の関係にある。
3312時より「ヴェニスの商人」の個人稽古「運なるというべきか、命なるというべきか」(注、ラーンスロット・ゴボーの台詞)この日の出席者はS(ネリッサ)F(ジェシカ)の二人だけである。私にとっては某私立大学芸術学部演劇学科(注、N芸という)出身の二人が見せる演劇的反応のなかに共通のN芸的遺伝子が発見できるかどうかを知る絶好のチャンスなのである。Sの遺伝子についてはこの15年の経験からそれがいかにしつこくSの血に、肉に、骨に、食い込み、食い入り、そこに住みつき、定住し、土着民の頑強さをもって根づいているか、十分に承知させられている。
Sには顔(注、正確には首より上の部分)で芝居をするという癖がある。その身体的部分によって、台詞を、台詞の流れを、台詞の生命を捏ねくり回わし、押し潰すという悪癖である。Sにもこのことはよく分かっている。その病癖のために、私に執拗に責めたてられ、痛めつけられ、いじめ抜かれていたからである。しかし分かっていても、そこからなかなか抜け出せないのがこの病気の特徴である。私とSは、この十年間、Sがシェイクスピアシアターで主要な役を演じるようになり始めた時より、熾烈な、終わりのない戦いを続けている。
私は、Sのこの病気を、病弊を、小動物のように追い込み、追いつめ、攻めたて、責めつけ、「首、首、首、首ナシ、腰、腹、腰、腹、腰、内臓」と喚き、呻き、呪い、罵り、底なしの泥沼に、足を取られ、踠き、足掻き、泥にまみれ、水に溺れ、深い、深い底の底のほうにと引きずり込まれていく。Sは、それでも、しぶとく耐えて、耐えて、耐え抜き、一歩も譲らず、退かず、顔を背け、首を振り、顎をしゃくり、自分の病癖にしがみつく……。
この底なし沼の戦闘を少し冷静になって振り返ってみると、つぎの二つのことが考えられるように思われる。
    私のSの病癖に対する治療法が適切でない。
    Sの私の治療法に対する対処のしかたが適切でない。
いずれにしても私の心を訪れるものは、他人が、他人を教えることは出来ないという動かしがたい重い事実である。それは、なにもSにかぎったことではない。演出に携わるものとして、本質的に他者としての演技者に関わろうとするとき、それが、たとえ怒声、罵声を伴うものであったとしても、演技者の人格の核の核に潜むところのなにものかにまで届こうとする空しい試みを続けることを強いられる、というのが私の意見である。
 特にシェイクスピアの言葉においては、上記のSと私の間に見られるような、執拗に繰り返される格闘を抜きにしては、その本来の豊饒な生命力を十分に発揮することは不可能だと、私は確信している。そして、いまだ、日本にシェイクスピア演技の原理が存在しない以上、それをつくり出そうとすることは、全く新しい分野の仕事であり、それにはSと私の戦いは不可避だと思われる。
 Sが、芝居は顔でするものだと無意識に(注、無意識だからこそしぶといのである。)思い込んだのが、少女期、N芸期、シェイクスピアシアター期、いずれの時期だったかは、わからない、あるいはそれよりずっと以前だったかもしれない。とにかくSと私は長く、あまりにも長く戦い続けてきた。もうそろそろ、Sも私もその成果を挙げて、平和条約を締結してもいいころだと思うが、Sよ、どうだろうか。
 どうも話が横道にそれたようだ。主題はFである。Sの後輩、Fの場合である。
To Be Continued