2012年2月29日水曜日

俳優座劇場にいく!

      212日オーディション2日目。
 午前915分全員集合する。但しSは前日より5分遅れの定刻5分前、Kは定刻30秒前の、はらはらどきどきさせる到着である。ここで言い忘れてはならないのは、写真家のO氏のことである。O氏は2年ほど前より、シェイクスピアシアターの舞台写真、稽古風景を撮り続けてくれている、しかも無償で。 O氏の熱意、執念は、いま私たちが失いつつあるなにか大切なもの、貴重なもの、尊いものを教えてくれるように思われる。それこそ、シェイクスピアシアターにとっては、あのポーシャの慈悲、天より降りきたっておのずから大地をうるおす恵みの雨のようなものなのである。ただO氏のいけないところは、被写体に私を選ぶ回数がとても多いことである。稽古場でも劇場でも、ふと気がつくとO氏がドアに隠れ、壁に潜み、椅子に沈み、幕に紛れて私をじっと監視しているのである。私はぶるるんと震えて身を縮め固くなる。どうも自然ではいられなくなるのである。いつだったか、O氏は、稽古場で私の背後から演技上の諸注意を受けている若い女性の姿を写真に収めたことがあった。その時、どうしたわけか、私は常用のソフト帽を傍の机の上に置いていた。不覚である。出来上がった写真の前景には、毛髪を失って、地肌の見える寂しげな私の後頭部があり、その向こう側には、真剣な眼差しで私の注意を食い入るように聞く女性がいた。私はぐさっと急所を刺されたような思いであった。まざまざと己の正体を知らされた気持であった。それ以来、私は自宅以外では絶対にソフト帽を頭から取らないことにし、O氏も絶対に私の後頭部を狙わないことになっている。
 今日(212)もO氏は前日同様、930分ごろに姿を見せると、先ず、ファミリーマートのそのまた隣りの整骨院(注、前回整体院は誤り)の目の前の路上をうろうろ徘徊する背広姿のTとHを注視、二人に誘われて通称ポーシャの小道と呼ばれている路地を急ぐ女性たちの後を追いかける。午前10時オーディション開始とともに、O氏はそっと稽古場に忍び入ると、狭い部屋の壁に岩場の小魚のように張りついて、ポーシャ化しようとする女性たちの生態を撮って、撮って、撮りまくる。私の背後は壁である。後ろに回られる心配はない。私はオーディションに集中する。女性たちの顔を見る。写真を見る。そしてもっとも大切な仕事、女性たちの声に耳を傾ける。
 さて、ここからは第一日のように順を追って話を進めていくのではなく、強い印象を受けた応募者たち、深く考えさせられた事柄等を中心に第二日の様子を報告することにする。
1、Mの場合。Mは大女である。しかも実によく引き締まった肉体の持ち主である。肩幅は広い・胸板厚い・四肢五体・五臓六腑、どこをとっても健康でないところはないと納得させる頑丈な体格である。身の丈、165センチ以上はある。力仕事をする労働者のからだをしている。履歴書を見る。某私立大学考古学科卒とある。縄文期、あるいは弥生期の昔々大昔の古い泥土(注、ドロツチと読みたい)を掘り返して、無上の喜びを感じている人たちの仲間である。しかし、Mには、シャベルで細かく土をいじるより、古層なる大地に向かって、鍬を大上段から振り下ろすほうが似合っているように思われる。実物を見る。実物だけで十分、写真は不要である。一目で気に入る。入らないわけがない。強い親密感を覚える。私の生まれた島根半島の半農半漁の村にもこのようなMに似た(注、失礼!)大柄の頑丈な、逞しい女性たちが何人もいて、村の細い路地を海の臭い、野の臭いをぷんぷんさせながら、うろうろと歩きまわっていた。私もこのような男勝りの女性たちに混ざって一緒に「ホイキタ、ジョイ、ホイキタ、ジョイ」と掛け声をかけながら村の小さな湾内にぐるりと海面を取り囲むように打たれた鰯網を力一杯手繰り寄せたものである。中学生の頃だ。また村の女性たちは、糞尿を入れた二つも肥桶(注、こえだご)を天秤で担いで曲がりくねった急な坂道を小高い山の上にある畑まで運んでいく。私も同じようにやったことがある。ぽちゃっ、ぽちゃっ、と音を立てて襲いかかる糞尿の危険から身を守るためには、天秤のバランスを微妙に保たなくてはならない。しかし女性たちは、実に見事な足取りで軽々と肥桶を担いで、山の上の畑を目指して坂道を登っていくのである……。
このような60年近くも前の経験にMを見ながら思いを馳せるのは、大変失礼なことだと十分に承知しているが、率直に言ってやはりMの立派な体格は、故郷の村の働き者の女性たちを思い出させるのである。いい知れぬ親近感を抱かせるのである。私は、Mはいけると思った。使えると思った。Mの卒業した某大学は、国語、歴史を専門にする教師たちがよく出る学校である。私の高校にもそういう先生が、何人もいた。当時の私の印象では、地味な部類に入る大学であった。Mはその地味な大学のそのまた地味な考古学科の出身なのである。これで地味でなければ、いったい何が地味なのだと問いただしたいほどの地味さである。私はまた粘り強いにちがいないとも判断した。そう断定して間違いないと強く自分に言い聞かせた、何しろ縄文期の土と深く付き合っているのだから。そして、朗読の結果次第では、応募した女性たち全員が配役されることなど夢にも考えたことのない、また絶対に配役を拒否するだろうある役をやってもらおうと腹を決めていた。朗読を聞く。元気である。ただ元気である。ひたすら元気である。元気なだけである。元気しかない……。それでもいけると思う。いけるはずだと強引に自分を説き伏せる。私のMへの親密感は決して消えることはないのである。再度、履歴書を見る。学生時代、劇団「くろひげ」を設立したとある。名前がいい。これならポーシャ志望であるはずがない。ますます意を強くする。履歴書の先を読む。「六本木の俳優座劇場まで所要時間、約1時間15分」と記載されている。実に気の早い話である。すでにもう「ヴェニスの商人」の上演に参加しており、これから俳優座劇場に通うことになっているのである。それには先ず、オーディションに合格する必要があるのである。それには絶対に他の女性たちが拒否するだろう役を引き受けなければならないのである。
 話は20数年前に遡る。ある男(注、わが劇団の役者)はまだ相手の意思を十分に確かめてもしていないのに、数度一緒にコーヒーを飲んだだけでの交際で、結婚を思い立ち、思い込み、それが目の前に迫ったものと錯覚、幻覚し、都営住宅の抽選の列に加わり見事当たりクジを引いて、住宅を手に入れたが、相手の女性は「あっそうなの」と言うが早いか男の手を離れ、イギリス留学に旅立ってしまった。しかしこの男、この深い失意からなんとか立ち直り、なかなかの役者となっていまも活躍している。
ところで、この早とちりこそシェイクスピアを志す者の必須の条件だというのが私の意見である。そして、すでに俳優座劇場に通うことを決めているMにはその条件が十分に備わっていると考えられる。私もまた風呂に入る時、湯が沸く前に全裸になり、そこではじめて、まだ水風呂と知り、タオルを体に巻きつけて寒さをしのぎながら、半裸のまま部屋の中をぐるぐる徘徊することがしばしばあるのである。家の者の冷たい叱責を「シェイクスピアに携わる者は常にこうでなくてはならぬ。」とわけのわからぬ弁解をする。余談ながら、この日、Mよりももっと気の早い女性がいた。何を勘違いしたのか実際に六本木俳優座劇場に行ってしまったのである。「1時間ほど遅れます。すみません」との電話が、かの地よりあった…。
ところで、これには後日譚がある。実はMはめでたいのかどうかよく分からないが、オーディションに合格した。数日後、私はMに会って例の役の話をした。するとMは、「嬉しいです」とにこにことした表情で言ったのである。「ありがとう!」と私は、天にも登る気持ちになってMに感謝した。その役の名は、老ゴボー、シャイロックの召使い、ラーンスロットゴボーの父親である。
 Mのために、また実際に俳優座劇場に行ってしまったもう一人の女性のために、シェイクスピアの言葉を贈る。

「心に思う人殺しはまだ想像にすぎぬのに、それが
生身のこの五体をゆさぶり、思い浮かべるだけで
その働きは麻痺し、現実に存在しないものしか
存在しないように思われる。」(マクベス)(小田島雄志訳)