2012年2月10日金曜日

クルミの殻

私の稽古場は中野の新井薬師、真言宗のお寺の目の前にある。もっと目の前にはファミリーマートがある。
2.5間、横4間、10坪あまりの小空間である。今年私は72才になる。気力はある。体力もまだあるようだ。しかし金がない。その小空間で、というより小部屋で、私は動きまわる。喋りまくる。もちろんシェイクスピアを、シェイクスピアの言葉を、である。
 稽古場の外に一歩出ると私は何者でもなくなる。ただの役立たずである。では稽古場の中に一歩入るとおまえは何者かになるのかと聞かれると、そうだと自信を持って答える自分がどこにもいない。そうだと錯覚する自分はいる。幻覚する自分はいる。妄覚する自分はいる。私にとって稽古場はそういうことを許してくれる唯一の場所なのである。そしてシェイクスピアは、シェイクスピアの言葉は、その劇世界は、たとえそれが私の錯覚、幻覚であったとしても、私に<生>の感覚を、血湧き肉踊る感覚を、与えてくれる唯一の存在なのである。

シェイクスピアの言葉
「このおれはたとえクルミの殻に閉じ込められようと、無限の宇宙を支配する王者と思いこめる男だ」(ハムレット)