2012年2月22日水曜日

耳で見るⅡ


 閑話休題。オーデションに戻る。2番手の女性の登場である。顔を見る。写真を見る。顔を見る。写真を見る。驚きである。摩訶不思議である。顔と写真の関係を不等式で表すと次のようになる。顔>写真。要警戒である。目を閉じる。耳に頼る。小さな声である。蚊の鳴くような声と言わないのは、不等式がいまだに目に強く残るせいである。目を開ける。安定した立ち姿である。下半身が上半身をしっかりと支えている。履歴書を読む。身長160センチとある。それよりずっと大きく見える。「しかし、蚊の鳴くような声だ」と耳が言う。「小さい声だといえ」と目が言う。ふたたび履歴書を読む。舞台女優になるため、クラシックバレエ、モダンバレエ、タップダンス、日本舞踊、フラメンコ、狂言等を学んできたと書いてある。目も眩むほどの精進ぶりである。「それなら、もっと声を出せ」と耳が言う。「もう少しだ」と目が言う。「耳さんよ」と私が言う。「あんたの言うことはもっともだ。」続けて「目さんよ」と私が言う。「あんたの言うことはもっともだ。」「お二人とも」とまた私が言う。「第二問が、終了まで待ったらどうだ。少しはよくなるかもしれない。」目が喜んで賛成する。耳は不満げにしぶしぶ同意する。
 3番手の女性が登場する。顔を見る。写真を見る。甲乙つけがたいところである。長身。履歴書は168センチと告げる。痩身でもある。余分な肉がすべて削ぎ落とされている。世俗が影を潜め、野性がやや欠乏する。履歴書は某大学キリスト教学科卒と知らせている。といって、決して尼僧、坊主の類いではない。30代半ばの、十分に市井の人である。朗読が始まる。澄んだ気持ちのいい声である。丁寧で素直な読みかたが文意をすっきりと明確に伝えてくる。しかし、少し冷静すぎるようだ。何かが足りない。何かが欲しい。耳の厳しい評価である。履歴書を見る。ストラヴィンスキーの原曲をアレンジしたミュージカル「火の鳥」に出演したと記されている。これだと思う。しめたと思う。いけると思う。「火の鳥」の羽根の一本、いや羽毛の一本でもいい。それぐらいは、この長身にしてかつ痩身の女性の体の内部を、風に吹かれて飛んでいるはずである。女性に必要なのは、ストラヴィンスキーである。「火の鳥」である。一本の羽毛である。ここで話が先に飛ぶ。女性が第二問を読み終わると、私はたまらずに「踊ったの」と聞く。すると女性は、「踊っていない」と答える。「どうして」と私。「台詞を言うだけの王妃。」と女性。「踊ってくだされよ」と言う私の目の前を、一本の羽毛がフラフラと飛んで宙に消えていく。
 しばらくの間、蚊の声、ブヨの羽音、喉声、鼻声、胸声が、続く。履歴書に書かれている特技のうち、体育会系のもの、スポーツ的要素の多いものを列挙してみる。バレーボール、サッカー、バトミントン、バスケットボール、フットサル、ソフトボール、ドッジボール、日舞、民舞、ジャズダンス、タップダンス、社交ダンス、クラシックバレエ、水泳、サーフィン、スキー、スノーボード、剣道1段、剣道初級、乗馬、器械体操、ゴルフ、アイススケート、更には、凧上げ、競技かるたまでもある。まさに驚異である。女性たちは、なりふり構わず寸暇を惜しんで、日夜、肉体訓練に励んでいるのである。髪を振り乱し、汗を飛び散らさせ、己の肉体を鍛えに鍛え上げているのである。アルバイトの疲れもあるだろう。お金もかかるだろう。それでも女性たちは、己の肉体を鞭うち、苛め抜くことをやめようとしないのである。ここでまた、もう一つの驚異が私に襲いかかる。なぜそれほどまでに鍛えに鍛えて、励みに励んで、蚊の鳴く声が呟き、ブヨの羽音が囁くのかと。また、なぜ喉を締め上げ、胸を固く閉め切るのかと。発声時、女性たちの下半身と上半身は、全く切断された状態にある。下半身と上半身は、家族、兄弟、姉妹でありながら、アカの他人なのである。声は下半身にその源を持つ。腰に持つ。腹に持つ。内臓に持つ。NHKの大相撲解説者の元横綱は、「相撲に上半身はない。下半身だけだ。」と名言を吐いた。私も「シェイクスピアに上半身はない。下半身だけだ」と言いたいと思う。もちろん、私が言えば、極論になる。しかし、なにがしかの参考にして欲しいと切に願うのである。
 すると突然、天鳴る、地鳴る、人恐れ縮む大音声(注、だいおんじょうと読むほうがいいと思います。)が出現する。本人を見る。私に写真を見る余裕はない。再度本人を見る。肩幅の広い、胸板の厚い、がっしりした体格の女性である。頑丈な両の足がしっかりと大地(注、稽古場の床)を捉えて、仁王立ちに立つ。「悪魔さんよ!」と大声が呼ぶ。「良心さんよ!」とまた大声が招く。大音声の中にあって、呼ばれる悪魔はますます悪魔になり、招かれる良心は変じて、これまた悪魔と化す。そして、元ガラス屋の稽古場はふたたび転じて、暴れまわる二匹の悪魔の住家となる。恐る恐る履歴書に目を通す。某私立大英語学科卒と知る。イギリスの大学への留学経験もある。「大学のESSで英語劇をかじりました」ともある。私の思いは地(注、つまり稽古場)を離れ、時を越え、天を飛んで、所は備前岡山、清泉女子大学の講堂に到る。「オッス!」のドスの利いた掛け声が裏から聞こえて幕が上がる。冒頭から度肝を抜かれるうら若き女子大生達による原語上演「マクベス」の開幕である。野太い、どす黒い声が舞台を縦横に駆けめぐる。怒声。罵声。蛮声。口ひげをはやした男性かと錯覚するほどの奮闘ぶりである。私にはちんぷんかんぷんの原語上演。耳を襲する轟音に、ただただ恐れ戦くばかりである。ダンカン殺害の場が始まる前に、私は身を縮めて、静かにその場を去った。30数年も前のことである。大音声がまだ続いている。悪魔は健在である。私は現実に、稽古場に引き戻される。履歴書を読み進む。高校の時、小田島雄志先生訳のシェイクスピアを読みはじめ、大学の時、全作品を読破。大学3年の時ゼミにおいて「ヴェニスの商人」をアーデン版でOEDを片手に読み、卒論にも「ヴェニスの商人」を取り上げたと書かれている。ご苦労様!!また、最愛の夫を亡くしてから、ひとりで3人の子供を育てたとも書き綴られている。
 私のように稽古場の外に一歩出れば、能なしの役立たず、稽古場の内で、やっと何者かであるように幻覚、妄覚する者には、とてもまねのできるようなことではない。ただ頭を垂れて、心よりご苦労様と申し上げるのみである。それから勇猛果敢な大音声に対しても………。さて、オーディションはこの中年女性をハイライトとして、あとは特別に記すこともなく、無事に第1問の終了となる。   
To Be Continued